映画漬廃人伊波興一

アンダー・ザ・シルバーレイクの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

3.4
地雷になぞらえてみたくなる作品です

デヴィッド・ロバート・ミッチェル

「アンダー・ザ・シルバーレイク」

日本において小津安二郎や黒澤明、溝口健二の時代は既に終わったとされた時に、外国の映画作家たちが、彼らの作品を観て映画を撮り始めている事からも判るように、映画の享受の歴史にはどこに起爆装置が仕掛けられているか分からない面白さがあります。

時々、アメリカ犯罪映画の中に小津安二郎の姿を発見出来たり、フランスメロドラマの中に黒澤明のダイナミズムが漲(みなぎ)っていたり、東欧諸国のコメディの中に溝口健二の幽玄さが立ちこめていたりするのは、映画史によって、無秩序に埋め込まれた地雷の炸裂に他なりません。

実は私の周りの評価が大変芳しくない「アンダー・ザ・シルバーレイク」という映画。

確かに尺は長いし、血糊や裸など刺激的な場面が随所に挿入されている割には画面の力が、出口の見えない筋の流れに遅れをとり、いささか忍耐が強いられます。

まだ「アメリカン・スリープオーバー」も「イット・フォローズ」も観てない私が、デヴィッド・ロバート・ミッチェルという作家についてあまり偉そうに述べる資格もありませんが、それでも私には「アンダー・ザ・シルバーレイク」という映画に埋め込まれた地雷の数々は痛快極まりなかった。

そしてこの「アンダー・ザ・シルバーレイク」という映画そのものが今後の映画史でどのような地雷化を遂げていくのか。

公開から53年経過した現在も尚、地雷を抱えたまま炸裂の時を控えているようなジャック・タチの「プレイタイム」のように、安易に足を踏み込ませない危険な一本になる予感がするのです。