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アンダー・ザ・シルバーレイクのrhumのネタバレレビュー・内容・結末

4.7

このレビューはネタバレを含みます

今年公開作の中でも1、2を争うくらい楽しみにしてたので初日に観に行ったわけだけど、いまだにちっとも感想がまとまらない。なので思うがままに書き散らかしてみる。

①めちゃ乱暴に言えば、ベースはマルホランドドライブ+ララランドな感じで、その上を各所で解説されてるように様々なオマージュの嵐が吹き荒れる。個人的には、なんだか観ていて大好きな21世紀映画の数々を俯瞰してるような気になり、ヒッチコックなどの20世紀名画への目配せよりもそちらのほうが印象的な作品だった。具体的にはマルホランドドライブの他、ホーリーモーターズ(監督の過去作のセルフパロディという意味で)やインヒアレントヴァイス、レフンの一連の作品群などなどなど。
あと、肝心の謎解き自体には何ら意味がないけども、そこにのめり込む人の滑稽な姿を描く、という意味ではゾディアックを想起したり。今作もゾディアック同様、作中に散りばめられた情報を拾って整合を取ろうなどと躍起になる必要はなく、“あらすじはぼんやり楽に&画作りは楽しんで”観れば良いってタイプの映画であると思う。
というわけで、観てると好きな映画の記憶が次々と…というのはどうでもいい個人的な妄想話かな。

②しかし…。劇場は満員だったけど、これはアレでは?ピンとこない人には全くピンとこない系カルト作品では?というか、ポップカルチャーというものに人生狂わされてるタイプの人にしか刺さらなさそうなやつでは?と思いながら観ていた。
なぜなら今作で描かれるのは、世界のとある場所に刻まれてきたポップカルチャーの“破れた夢の跡”であり、その場にいた人たちの“敗れた夢の後”(=青春の終わりとその先)だから。

③過去2作を観ていて、この監督の作品は見始めてからしばらくは何が言いたいのかよくわからないまま転がっていって、ある箇所で主題めいたものを掴んだ後は各要素がパズルがハマっていくように理解できる、というようなものだった。
今作でもそうした向きはあるけれども、前2作と並べて観てみると割と明らかな形で過去作から一貫したテーマが見えてくる(ような気がする。勘違いじゃなければ)。それは、ある時期から見た青春の終わりであり、老いと死への自覚である。アメリカンスリープオーバーはこれから青春の終わりを迎える子どもたちの話、イットフォローズは今まさに青春の終わりを悟る若者の話、今作は青春の終わりを受け入れられずに年を重ねてしまった大人の話、といった具合に(その観点から言えば、もしも人に薦めるなら、オマージュ元の名作群はどうでも良いから監督の過去作は観とけ、と言うかも)。

④文学、映画、音楽、ゲーム、ファッション…あるいはおもちゃでもオカルトでもなんでもいいけど、ポップカルチャーが所謂“エンタメ”として(つまり単なる暇つぶしの道具や“泣ける”ためのサプリメントのように)消費されるのが圧倒的主流になる前の時代、それらの多くは単なる面白い/つまらないという価値基準に収まらない何かだった。そんな気がする。特に各時代の若い人々にとってそれは、思い通りにいかない現実を歪めてくれるか、あるいはそこから逃避するための幻想を与えてくれる神話だった。受け手の心の中に強く染み込み、思想や行動に強く影響を与えるような麻薬だった。ポップカルチャーはずっと「“夢”を切り売りする子供騙しの商売に過ぎない」という否定しきれない一面があると同時に、それを覆い隠すに十分な熱狂を与える力を持っていた。
幻想を愛する人たちの中から、新たな作り手たちが現れ、文化が更新されていく。但し、神話的な栄光を享受できるのはその中の僅かな人たちのみで、その他大勢は塵となり消えていく。多くの挫折の上に成立しているモンキービジネスであるという意味で、ポップカルチャーはそもそもが呪われたシステムの上に成り立つ呪われた存在であるとも言える。でも、そんな呪われた存在と思いながらも、同時にとても愛してもいるからこそ、“破れた夢”の側に目を向けさせられた時、なんとも言いがたい悲哀が自分の心を襲う。
作中、Donnie & Joe Emerson / Babyという、個人的にめちゃめちゃ好きな曲がかかる場面がある。オリジナルリリースは40年くらい前だけれども、Ariel Pinkのカバーや、あるいはユニクロのデニムのCMで使用されたことでここ数年で知られるようになった曲だ(ちなみにCMは、とあるガソリンスタンドにて髭面の男が近くで踊る見知らぬ女性に見惚れるロマンチックかつファニーなショートムービーだが、今作で曲が使われる“出会い”の場面と見比べるのも一興。どちらもとても静かで孤独を感じさせる画なのが妙にリンクする)。つまり、当時は注目もされず後年になって発掘された曲というわけだけれど、そんなこの曲にまつわるエピソード自体もまさに“破れた夢の跡”を感じさせるものだったりするので、そこで心のスイッチが入り、以後、涙が止まらなかった。

⑤作中、主人公が謎を解き明かした時に目にする、ヒット曲にまつわる悪夢のような「真実」。それは当然(?)フィクションなわけだが、しかしその悪夢にはどこか世界の本質を捉えたような異様な現実感がある。
世界はとても複雑で、陰謀論のように何かしらの手続きによって導き出される正解なんてものはない。ただ、仮にこの作品のように万が一、何かしら答えを見つけたとしても、そこに待ち受けているのはすがっている幻想を打ち砕く残酷な真実だけ。しかも真実を知ったところで、自分の人生が何か好転するわけではない…。

この作品は間違いなくポップカルチャーへの愛に溢れているし、作中で取り上げられている諸々を知っていればより楽しめる映画であると思う。けれども、そうした側面もありながら、主題自体はむしろその逆、つまりクソ忌々しいポップカルチャーやその他諸々の幻影にとらわれ、いい年まで来てしまった人々への、その青春へのレクイエムと、「その先に残された人生を楽しめ」という応援歌のように見える。そんな、非常にアンビバレントな感想を抱かせるのがこの作品に最も惹かれる所であり、観ていて最も苦しくなる所でもあった。

はぁ。勢いでいろいろ書き過ぎた。
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