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サーミの血のesewのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
3.0
2019.12/05

スカッとわかるわけではないし泣けるわけでもないし怒りに震えることができるわけでもないけど、見た後久しぶりにすごーく考えさせられたのでどう考えてもいい映画。2019年に1本だけ見るならコレをすすめる。


先住民族は彼らの伝統の中で生きるように近代化された都市から遠ざけるべきなのか、それとも教育を受けさせて近代社会でも生きれるようにすべきなのか。


舞台となる1930年代のスウェーデンで、差別(ハッキリと劣等民族とみなし、人間的な扱いをせずただの調査対象とする)が国家的に行われていたことを示しているんだけど、それ以上に仮にこれが国家的な差別政策じゃなかったとして近代社会と伝統的社会の狭間でどうサーミの人たちを捉えればいいのか難しい。


ラップランドのような極度に天候や自然環境の厳しい地域(ふつうに考えて生物にとってストレスフルで生存するのにあまりにも過酷な環境)で教育を受けさせ職業選択の自由が広がれば都市生活の利便性ゆえに伝統地域を捨てる人が増え伝統はいずれ消え去るか残るにしても衰退するだろうし、伝統地域に閉じ込めれば教育を受ける機会や様々な選択の自由を奪うことになる。いや彼らに選ばせればいいという安易なスタンスだと、他の地域と違ってラップランドぐらい環境が過酷だとおそらく統計的にほとんどが近代化してしまいそうである。


主人公のエレマリャの、他の子供より賢く強かったがゆえに知性と自由とバイタリティを持って単独で近代社会にチャレンジしてしまった不運というか苦難は不公平だしこの年の子供に生活費と学費、生活基盤の全てを工面させ奔走させた社会の全てがあまりにも残酷にうつる。


調査目的での身体検査で全生徒の前で裸になれと告げられた時、ニクラスの家で追い払われる時なんでもするからメイドとして雇ってくれと同年代の男に嘆願する時、ニクラスの誕生日で衆人を前にヨイクを歌えと見せ物として急かされる時、どれほど屈辱的であったか。ニクラスの家に単身押しかけて両親に泊めてもらう時どれほどやましく心細かっただろうか。


老齢になっても最後まで幸せにはなれてないし、サーミにもなれず、スェーデン人にもなれず、サーミの文化を受け入れず、スウェーデン人として自分の出自を隠して生きている。所在がなさすぎる。ラスト、バイクやバギーの並ぶトナカイの皮製テント群が伝統と自由を分けて生きることの難しさ、そもそも分けるべきなのかどうかすらを問うてくる。


でもね、エレマリャはサーミの血を捨てたわけじゃない、あの口紅の女の子がマーキングナイフをからかった時に見せた行動はサーミとしての誇りだろう。そしてあのスウェーデン人の子がエレマリャからのそうした反抗を受けた後でも友人として接してグループに受け入れたこともとても素晴らしいことだったんじゃないか。エレマリャはサーミを受け入れていないし、好いてもいない。それでもサーミとしてのアイデンティティを失ったわけじゃないんじゃないか、そしてそういう複雑で定まらない人間でも他の人間がそのまま受け入れることもできるんじゃないかと日本人の自分は少しの希望を見た。


幸せとは、満たされることだけではないというのをちょっと思い出す。全ての幸福を疑似体験できて、それが疑似体験でなく完全な現実だと認識させる機械を人間が作り出しても、多くの人はその機械につながれて一生を過ごすことを望まないんじゃないかと米国の哲学者ウォルツァーが言ってたけど、自分が選択したなら自分自身の人生を送るために苦難を体験していくことさえも幸福の一部なんじゃないだろうか。エレマリャはまだ最後にたどり着いていないだけでこの物語には続きがあるんじゃないか。息子と孫が呼びに来た時エレマリャは一緒に行こうとしてたし、サーミの地に残った妹の亡骸に謝ってもいた。映画は終わってもエレマリャの物語は終わってないんじゃないかと、そう思った。レビュー長ぁー、たぶん自分史上最長笑

どーでもいいことも言わせて、エレマリャ、めっちゃズングリムックリな体型なのにスラっと背の高い先生のワンピース盗んでも着られへんし、列車のおばさんからパクった服も絶対着られへんやろ!どこで超高速サイズお直ししてんねん、めっちゃ手先器用かっ!!監督、そのへんのディティールも凝ってくれ!
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