Kana

サーミの血のKanaのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
3.0
人の一生はどう生まれたかではなく、どう生きたかで決まるはずだけれど、現代でも生まれが原因で人生に重い宿命を背負った人々がいる…それに抗う少女を描いた物語。

気が強く負けず嫌いで、妹思いのしっかり者の少女が、なぜ家族を捨てることを望んだのか。
それは差別のせいなのか。
それとも好奇心が悪なのか。
思春期と共にある自我の目覚め、羞恥心、整理できない感情の絡み合いの結果、少女が得たものと失ったもの…その決断の善悪は誰にもつけられない。
だけどもし差別のない世界だったとしたら、少女は家族に笑顔で送り出され都心で学び暮らし、週末は家族に会いに帰ってくる友好的な関係を築けたはず。

映画を通して改めて感じたのは、差別とはそれを押し付ける強い者の側だけにあるのではなく、弱い者の中にもそれを受け入れてしまう差別の形があるのだということでした。
相入れないものを排除するという区別の考えはそれ自体が悪とは言い切れず、互いが同等の力を持っていればただの対立で、力に差が生まれた時支配に転じ、時代が平等を讃え始めた時それは差別に変わってしまう。
少女が大人になり、老人になり、故郷に帰った時、変わらない差別と伝統、そして発展した文化や技術はどれだけあったのだろう…。

この映画を通してサーミ人という人々の存在を初めて知りました。
オーストラリアのアボリジニ、北海道のアイヌ、アメリカのインディアンなど、伝統を重んじ自然と共に暮らす人々の歴史が差別の歴史と切り離せないのはなぜなのか。
人間の文化に優劣はないと思いたいけれど、今でもはっきりと優劣を定めているのはやっぱり″お金″だと思う。
より汎用性のある通貨を流通させている国が文化的に発展している国、上にある国だという考えはおそらく誰の根底にもあって、通貨を使用せずに物々交換で暮らしている人々を下等に見る考えも少なからずあるのだと思う。
また日本が韓国に負けたくなかったり、ブラジルがアルゼンチンに負けたくなかったり、歴史の中で刻まれてきた国家間での優劣意識も実際にあり、ある程度やむを得ない部分もある。
だけどそれが一人一人の人間に対して悪意を持って向けられるのは絶対に良くない。
良くないとわかっていても、差別とはその多くが無意識のバイアスによるものだから、まずはそれに気付かないと無くすことは難しい。

テーマ自体新鮮な映画でしたが、実はこの主演の2人は本当の姉妹で本当にトナカイを飼育する遊牧民だというのだから驚きです。
監督の父方家族がサーミ人で、映画の中で描かれることは本人や親戚の経験談を基にしているそう。
それにしてもあの学校での、胸糞悪い写真撮影はなんだったのか…。
Kana

Kana