hajime363

THE BATMAN-ザ・バットマンーのhajime363のレビュー・感想・評価

-
“バットマンを愛する人による、バットマンを愛する全ての人のための映画”

見終わって鑑みるとシンプルな「THE BATMAN」というタイトルからして意気込みを感じますね。「シン・ゴジラ」的な。

背骨はデヴィッド・フィンチャー監督「セブン」を思わせるサイコパスなシリアルキラーものでありながら、バットマンならではの“ゴッサム”というモチーフがフィルムノワールとしての側面を担保。
ゴードン警部補とのバディでありながら、頭のおかしいモノローグはフランク・ミラーのコミック版「イヤーワン」を彷彿とさせるハードボイルドな仕上がり。
そんでもって、中盤のカーチェイスではアニメ版バットマンを彷彿とさせるブチ上げなBGMの使い方でアクションしつつ、ロマンスもプレイボーイ扱いではなく、生い立ち&釣り橋効果に終始していて全体を邪魔しないどころか良い味だしてます。

……バランス感覚エグいな。


そしてなによりですよ、
「ジョーカー」の後に“バットマン”をやる意義ですよ。

『誰しもがジョーカーになりうる』

「ジョーカー」が提示した狂った現実に対する鬱屈した不満と、ある種の混沌に対する憧れ。

その次になにをやるのか?めちゃハードル高い案件ですが、個人的には本作では満額解答があったと思いました。

まず、大前提としてカリスマ性を持った邪悪と、それに魅せられる市民。それらによる暴力的な正義とバットマンの不殺主義の対比といった「ジョーカー」で描かれていたことは本筋でなぞっています。
(そこをさらっとやっちゃう辺りの手腕も凄すぎるんだけど……)

それ以上に踏み込んだメッセージが“警察官”だったように思います。

犯行現場に立ち入るバットマンに「ここは関係者以外立入禁止だぞ!」と下端の警察官は序盤からやたらと突っかかります。
その後、とある理由でバットマンが警察に追われる立場になるシーケンス。
バットマンを追う警察官の数が「え、これ笑っていい場面?」ってくらい過剰に出てきます笑。
そこで強調されるのは組織としての正義に属する“末端の正義”。

「ジョーカー」のラストのような市民の不満が爆発した末の暴動が起きた時に、必ず登場するのは権力側の暴力としての“末端の正義”。
それはともすると、抑圧する存在として描かれがちですが、末端であるがゆえに権力とは切り離された正義を志す一人の人間として捉えることが出来ます。

そして、本作の起承転結の転にあたる部分では、ゴードン警部補に率いられる形で外連味たっぷりに描かれる“末端の正義”たち。
もうこの時点で目頭が熱くなってるんですが、その後のディザスター的な展開でも彼らは頑張ります。
これにより単純な暴力との対比として、末端の正義を描くことに終止せず隣人愛にまで範囲を広げて強度を増しています。

更に終盤では、もともと対立していたバットマンの自分勝手な正義に対しても、目の前の困っている人を救う自己犠牲という観点で和解します。
神話的な構図でバットマンに率いられる彼らの姿は、本作を象徴する名場面だと思います。

……と、だいぶ解釈が強いですが、終盤でバットマンが現場の警察官と会話して重要なあることに気が付くシーンからしても“末端の正義”は重要な要素だと思われます!!

あとね、MARVEL映画に対するアンサーとかも露骨にあるんですけど、もうね、こういうのは友達と朝まで話すやつ。


???「少なければ少ないほうが良いものってなーんだ?」

リドラー「……友達?」

ぼく「それはあくまで、少なからず友達がいる人の台詞であって、本当に孤独な人間には当てはまらないですよね?金銭にまつわる格差には敏感なくせに、その辺は配慮が無いんですね」

いやー惜しかったですね!
完璧に見えたマットリーブス監督も、友達が一人もいない人間がこの世に存在すると思わなかったのかな?

はい、論破!GOOD BYE!
hajime363

hajime363