阪本嘉一好子

オリーブの山の阪本嘉一好子のレビュー・感想・評価

オリーブの山(2015年製作の映画)
4.7
アシュラム ポーラックはアヘドの膝(2021年製作の映画https://filmarks.com/movies/97448/reviews/143974100 )で感情豊かな俳優なので気に入っていた。イスラエルでダンスカンパニーも持っているんだね。
ゼルダ・シュヌールソン・ミシュコフスキー(オーソドックス・ユダヤ教)の墓場の前で、ゼルダの詩を訳した韓国の人が韓国語でゼルダの詩を詠みあげる。それを微笑みながらみているツヴィア(Tzvia )、四人の子持ちのオーソドックスユダヤ教徒で、いつも髪の毛を隠している(ティクルー法律ハラハーによる)女性。彼女がゼルダを愛読していることで、この映画の結末が想像できる。しかし私はゼルダという詩人を全く知らなかったが、映画の後でゼルダについて少し学んだ。彼女の詩歌は死と暗黒、また再生と超越についても書かれているそうだ。映画を見る前にゼルダをよく知っていれば、韓国人でゼルダを翻訳した若者も死を考えているような暗い目をしていたと想像できた。そして、主人公、ツヴィアもその道を歩むのだということを推測させる。しかし、映画では無宗教のギャングや娼婦を鼠取りという薬物で殺し、自分も死ぬという暗示を我々に与える。これは何かのシンボリズム?それともコメディ風にあしらったのか? 未知の世界を知ったツヴィア(Tzvia )に対する祝福か?それが、ツヴィアが蘇ることに結びつくのか?ちょっと理解に苦しむ。

オーソドックスユダヤ教の葬祭共済組合は墓の面倒を見てくれる人を置いてる。それがこの夫婦である。敬虔な夫ルーベン (Avshalom Pollak)、 はタリートを毎朝まとい祈る。そして、ヤシバ(イェシーバ)の先生である。夫の冷たく愛情表さない態度も解せない。でも、子供をもう一人作ろうという。宗教義務感があり、教義を守っている。ヤシバだからねえ。宗教熱心で子供が四人いて裕福ではないことが窺える。信仰深いことが大切なのである。夫は妻との肉体関係に興味がないようで、この映画ではそれを暗示させている。この夫婦のいつから絆が壊れてしまったのかそれはわからない。ルーベンはツヴィアに頼まれた、ネズミ駆除の殺虫剤もすぐ買うわけでもない。忙しいのか忘れているのかわからない。妻の言動にあまり関心を示さない。
でも、夫は仕事を増やす時も、ツヴィアに許可をとろうとしているが、ツヴィアはだめともいいとも言わない。夫の質問に答えない。ツヴィアは町に出て教会の知り合いの女性からパン作り(challah)にも誘われたが中途半端な答え方をする。それに、墓場で、娼婦(世俗派:ユダヤ教ではない人)に初めて名前を聞かれ自分の名前を言ったが、(その意味は、自己を持っていないようにこの映画で設定してると思う。自分が全くないようだ)なぜこんなところにいるかなど聞かれても何も言わない。墓掘り(パレスチナ人:モスリム教)の男性にゼルダの詩歌を読んだ後も悲しい理由を聞かれてるが何も言わない。言えない?言わない?宗教上、外では完全な夫婦を装っている?

ツヴィアは精神異常を抱えているがよくわかる。テレアビブからきたハシディックユダヤ教の二人の女性にトイレを貸してあげる時、ツヴィアは台所からTemple Mount が見えて幸せだというが、なんだか暗さを漂わせているようだ。ハシディックユダヤ人も、ツヴィアをジロジロ見て、何か不穏の感じがする。肥満で過食症があり、ジャムを次から次へとスプーンで口に流し込む。スープもそうだ、鍋から何度も何度も立て続けに口に入れる。それに、タバコを何本も吸う。でも、娼婦に飲めと言われた酒がコーシャーかどうか戒律を気にする。それに、作った晩御飯だが夫が食べないので娼婦とギャング仲間に持っていく。ツヴィアは夫とは叶えられない肉体関係だが、娼婦とギャングとの喘ぎを聞いて身近に感じているようだ。熱心なユダヤ教信者のツヴィアは自分自身を娼婦やギャングなどの不信仰な人々の中に置くことにより、新しい世界を見たわけだが、それが、結局彼女は受け入れられないので彼らを毒殺したという意味にしたのか?

もう一度書く。ゼルダの詩歌とオーソドックス・ユダヤ教のツヴィアの心の中は同じようなんだけど、理解しにくい。