菩薩

わたしたちの菩薩のレビュー・感想・評価

わたしたち(2016年製作の映画)
4.1
人間が自分より劣る者を探し貶め時には敵視し、優越感ないし安心感を得ながら生きていくと言うのは防衛本能と言うか肉食獣としては当たり前の行為であり、悲しくも捕食する側・される側への区分と言うのは、この様に人生の早い段階ですら確実に行われていく。本作で象徴的に使われるドッチボールなんて言うのはチームの勝利の為にまずは弱い者から「排除」して行く遊戯であり、他にも例えば修学旅行等の「仲のいいグループ」結成なんかでも必ずその区分けからあぶれるものが出てくる、そう言うのを経験せずに義務教育を終えられる人間はきっとその後の人生も難なくこなして行ける傾向にあり、逆にそのようにしてくっきりと刻み込まれるコンプレックスと言うのはいつまで経っても消すのは容易ではない(ちなみに俺はそんなあぶれてしまった子を「かわいそうだから」と自分の領域に引き込み、自分だけがいい思いをして他人の気持ちを省みない偽善者タイプで、それは今になっても何一つ変わっちゃいない)。みんな違ってみんな良いなどと言う言葉だけが一人歩きする幻想を抱きながら、結局は異化と同化を繰り返し、自分にはもちろん他者にも平均を求め続ける、そこから外れるものは孤独を噛み締めながら耐え忍び生きていくか、好奇の目にさらされながら開き直って生きて行くか、人間はいつまで経っても何があっても残酷な生き物で、そんな生き物で構成される世界は必然的に残酷そのものになる。生きていくのは苦しい・厳しい・辛い、そんな現実に人生のどの段階でぶち当たるか、もしくはかわして行けるか、乗り越えた先にだってまた壁はあり、死ぬまで続く優劣合戦をどうにかして勝ち進んで行かねばならない。自らを的確に客観視し勝てる相手を見抜いていくのが人生、勝てぬ争いからは逃げ続けるのが人生、勝ち負けでは決まらぬ事もあるのは当然だが、どんな事にだって犠牲と言うのが生じてくるのも社会の現実である。「みんな仲良く」なんてものはどうしたって叶えなられない夢であり、多くの笑顔の陰には人知れず涙を流す者が少なからずいるのである。
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