ラグナロクの足音

光のラグナロクの足音のレビュー・感想・評価

(2017年製作の映画)
2.3
光というタイトルを名乗るには浅すぎる内容。
美佐子は視覚障害者のための音声ガイドの仕事をしていた。今はある映画の音声ガイドを担当し、作成している。実際に障害者の人たちにモニターになってもらい、美佐子のガイドを検証してもらった。的確なアドバイスが飛ぶ中、視覚弱者の中森からラストシーンの台詞について指摘された。美佐子は“見つめる先には、希望が満ち溢れていた”と表現したが、それは美佐子の主観が入りすぎていると。不貞腐れる美佐子は先輩の智子から、あの言葉にはちゃんと向き合ったほうがいいと言われる。美佐子は智子から中森の写真集をもらう。以前、中森は有名な写真家だったが、視力が衰えてきたことから、一線から退いていた。美佐子は写真集の中の、田舎の山々に夕陽が沈んでいく写真に興味を持つ。智子にお願いされ、中森の自宅に拡大鏡を届けにきた美佐子。部屋に案内された美佐子は、ゴミ箱から結婚式の招待状を見つける。間違って捨てたのだと思い、中森に渡そうとするが必要ないと言われた。美佐子は“このホテルはバリアフリーだから大丈夫”と、つい余計なことを言ってしまう。それを聞いた中森は、“君はこの仕事に向いていない”と一喝。ムッとした美佐子は、中森に向かってパンチをするふりをしたが、中森は見えないので何をしているか分からない。中森は美佐子に焼きそばを作った。食事しながら、招待状の相手は自分の元妻だと告白する。帰り道、美佐子は歩道を歩きながら、目をつぶって点字ブロックの上を歩いてみる。そして、目が見えないことの怖さを改めて感じる。美佐子は映画の監督と話をする時間を得た。主演も務める監督は、高齢者ならではの鋭さと感覚で映画を作り上げていた。だが、まだ若年の美佐子は、映画の中に希望を見出したいと思っており、その考えに引っ張られ、作品の中にそれを求めてしまっていた。監督は美佐子の考えを否定したりしなかったが、二人の心情には少しズレがあるようだ。監督からもらったアドバイスや、前回のセッションでの指摘を反映し、美佐子はガイドを修正してきた。前回と同じメンバーに再び確認してもらう。反省点は改善されて高い評価を得るが、中森からは、逆に初めて観る人には説明不足になったと言われてしまう。ラストシーンの台詞は、観客の想像の邪魔にならないように“なし”にしたが、これにも中森は反応し、それはガイドの仕事から逃げているのではないかと指摘してきた。怒った美佐子は“目が見える、見えないは関係なく、中森に想像力がないのが問題では”と言ってしまう。中森は席を立ち、部屋を出ていってしまった。久しぶりに後輩たちと飲みに出かけた中森。皆、写真家として活躍している姿に、自分の目が見えなくなっていることを再確認させられ、複雑な気持ちになる。帰り道、通りで転んでしまい、その隙に大切にしているカメラを盗まれてしまった。かろうじて見えた靴から、後輩の一人だと分かる。後輩の手からカメラを取り戻した中森が言った。“たとえ見えなくなっても、これは俺の心臓だ”と。駅で中森を見かけた美佐子は、彼を家まで送った。その途中、中森は完全に失明してしまう。一緒に道を歩いている時、中森は美佐子の顔を触らせてくれないかとお願いする。ひとしきり触ったあと、美佐子に向けてカメラのシャッターを切った。美佐子は写真集にあった夕陽の場所に連れていってくれないかと中森に言う。後日、二人は夕陽の場所を訪れた。二人は似た者同士だった。中森は美佐子の心がきしむ音が何度も聞こえていたと告白する。そして、大切なカメラを谷に向かって投げ捨てた。一番大切なものを、彼は手放したのだ。それを見た美佐子は驚き、“なんで”と囁くようにこぼすと、思わず中森に口づけした。映画の音声ガイドの最終稿が完成した。智子からもOKが出る。だが、美佐子はラストシーンだけ、もう少し時間をくれないかと言った。試写会をしたあとにもう一度、話し合おうということになった。中森は今まで自分が撮った写真、ネガを全て燃やした。数日後、美佐子のところに中森から封書が届く。中身はピンボケした美佐子の写真だった。メモには“僕の最後の写真です。受け取ってください”と書かれていた。試写会の日が来た。多くの視覚障害者、健常者が集まった。中森も客席にいた。映画を観ながら、美佐子は中森とのことを思い出す。彼を見つけて駆け寄ろうとすると、中森は美佐子を制し、俺がそこへ行くから待っていてくれと言った。力強い足取りで近づいてくる、その時のことを思い出していた。映画のラストシーンになった。妻を失った老人の主人公が夕陽を見つめるシーン。“目の前には、希望が満ち溢れていた”でも“なし”でもなく、美佐子は別の言葉で答えを出した。“見つめる先、そこに、光”という言葉で。
ラグナロクの足音

ラグナロクの足音