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HiGH&LOW THE MOVIE2 / END OF SKYのJAmmyWAngのネタバレレビュー・内容・結末

HiGH&LOW THE MOVIE2 / END OF SKY(2017年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

まず何よりも思うのだけれども、なんで明日が11月11日じゃないんですか琥珀さぁぁんっ!!!

本物である。このHiGH&LOWというヤツは、最早本物のアレである。これほどまでにアレなため、かえって私は誤解を恐れずに言いたいのである。「本物である」と。

作品そのものが記号それ自体として構築されていく中で、唯一の特異性であった琥珀さんのもたらす混沌によって、記号というそれ以外のすべて(=世界)が運動していた、というのが前作の印象だったワケです。
今作においても琥珀さんは相変わらず琥珀さんなのであって、琥珀さんはUSBを持ったまま一体何をしていたというのだろうか。彼はあらゆる既知の記号性による類推を、そのディテールによってことごとく拒絶しながら動き回ったり動き回らなかったりするのである。
しかしながら、そこには前作との大きな差異が存在しているのであって、琥珀さんという特異性は、今回はその他の記号という世界から明確に分断されている。琥珀さんの周縁を循環し加速していた記号達は、その遠心運動の核を喪失しているのである。

確かに琥珀さん達の繰り広げるアクションは素晴らしい。キメるべき画がことごとくキマっていて最高なんだけれど、果たして分断された記号達は如何にして輝くのだろうかと、要するに「一方でコレSWORDは大丈夫なんだろうか」という不安を、僕は少なからず覚えていたワケです。
その懸念が現実化してしまったと思ったのは、終盤で鬼邪高校が加勢に現れる場面。山王連合会の登場に次ぐ転換として、その間に積み上げる展開が余りにも欠落しているじゃないかと。記号が記号だけの構造において連関し始めると、半ば埋没していた浅薄さが露骨に表出しているではないかと、僕はそんな残念な想いに心を苛まれてしまったワケです。

しかしながら。
スペイン語で言えばSin embargo、英語で言えばSHIKASHINAGARA、落胆をよそに鬼邪高のテーマ曲(Jump Aroundのカバーのヤツ)が流れ始めると、そこで私はようやく気が付いたのである。「なるほどそういう事やったんか…。間違っていたのは、ウチの方やったんや……!」と。

キャラクターとキャラクター、そしてチームとチームが繋がり合う関係性、つまり記号と記号の連関がこのHiGH&LOW最大の魅力であると思うんだけど、それらが連関する瞬間に彼等の音楽が絡み合う事によって、状況としての段階性はある程度飛び越えられてしまうのである。そうすると、最早暴力的なまでにその目論見は成立し、否応無しに耐え難い興奮が呼び起こされてしまうのである。

冷静に考えてみれば、琥珀さんの特異性なんて、戦略的に意図されたものなどでは決して無かったハズである。琥珀さんという中心を循環する円心構造なんて、こいつらは全く考えていなかったのだ。こいつらは、初めからこの「記号の連関」の事しか考えていなかったのだ!そしてそれをいかに直接的に輝かせるか、こいつらは愚直なまでに、徹頭徹尾その事しか頭になかったのどあああああばばばばゲロゲロ~~(「こいつら」なんて言ってすみませんっっ)!!!!

記号と記号の連関がもたらす高揚感は、音楽によって恐ろしいまでに増幅している。それは1+1が3になるとか4になるとか、そんな生易しいものじゃあ断じてなくて、敢えて定量的に表現するならば、1+1が53万くらいに膨れ上がっている。
そのような常軌を逸した足し算が容赦なく連鎖していくのだから、脳汁がとめどなく溢れ出し、最早クリリンを突き刺せる程に角がアゲアゲな角度を獲得していくのであって、そうした生理的反応を抑える術など、私は知らない。これが本当の「くやしい…!でも…かえって感じちゃう!(ビクンビクン)」というヤツなのであろう。

琥珀さんという中心を離れた上で記号の連関を成立させた事により、今作はその根本的な作品的意義を証明してみせたと思う。その想いに僕は泣いてしまったし、そしてやっぱり爆笑しながらアガりまくったのです。
すげぇよ琥珀さん!もうサントラも買っちゃったよ琥珀さぁん!!早く続きを見せてくれよ琥珀さぁぁんっっ!!!
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