Melko

孤独なふりした世界でのMelkoのネタバレレビュー・内容・結末

孤独なふりした世界で(2018年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

I’m comin’ out to find you.
Findin’ my way.

うーん。なんとも不思議な映画だ。
予め見たレビューには、好き嫌い分かれる作品だと。たしかにこれは雰囲気と話の進め方が独特すぎて、好き嫌いパッキリ分かれると思う。
ほぼ画面に人間が2人しか出てこないから、どちらかのビジュアルに嫌悪感抱いちゃったら終わりだし、主人公が生きる世界や振る舞いの不器用さが、感情移入しすぎると見ていて辛いから、俯瞰で見れるぐらいがちょうど良い。

で、私は「割と好きな」作品と世界観だった。
「シラノ」でも主役を張る、世界で一番有名な小人症役者であろうピーターディンクレイジと、今や姉を凌ぐ勢いの人気女優エルファニングのコンビが織りなす終末世界のストーリー。
どうして世界中の人がある日突然死んだのか、その当日のことはフワッと言葉で語られるだけなので、何でそうなったのかは謎のまま。
ずっと思わせぶりな不穏な雰囲気が続き、後半突然かかるアクセル。
正直、のろのろなストーリー展開と寄ってばかり逆光ばかりの画は見ててあまり良い気はしないけど、(あまりにもノロいので一回止めてしまった…)
自然光を活かした美しい夕焼けや時々広大になる景色、所々でガツンと気合を入れるようにかかるRUSHの曲、そして何よりも、とても表現が難しい役を、あまり感情を爆発させずそれでいて情感豊かに演じきった主役2人の演技力と、見どころは多い。

みんなでいるより独りでいる方が気が楽な人もいて、それでもやはり誰かと繋がらなければ見えなかった世界や、忘れかけていた感情を取り戻せる。
電気が使えず水も火も起こさないといけない世界で生き抜くには、相当な知識と技術が必要。デルが図書館司書で、必要なことはなんでも「本」から知識を得られたであろうこと、そしてそれを行動に移し生き延びた根性。
他人の家は淡々と掃除し他者を次々に埋葬できるのに、荒れ果てた生家にはどうしても行けなかったこと。辛い思い出に向かい合うのはしんどい。

天真爛漫でちょっとKYなグレース。でもだから心がほぐれていく。

そんな彼女を迎えにきた両親は、ホントの両親ではなかった。その真相。
「怒りや悲しみの感情を忘れる治療」を”無理やり”施されていたこと。
愛する人を失った悲しみや、どうすることもできなかった自分に憤る気持ち
そんなもの無くしてしまえと思う人もいるだろうけど、それだって、きっと大切な思い出。自分という人間が、この先自分の足で生きていくための。

グレースを取り戻したデル。
何事もなかったかのように嬉々として生きる人々。まるで、ずっと向こうの土地で起こったことなんて、記憶から消すかのように。

11年前の記憶。
私が住む場所はそこからは遠かった。でも、揺れを感じた。たしかに。
テレビで流れっぱなしだった映像。
築かれた防波堤。忘れないために、これからのために。そうあるべきだと思う。蓋をするのではなく。忘れるのではなく。

見終わったら、3月11日の0:00になってた。ゾッとした。

どんなことがあっても、自分の感情や思い出は全て自分で抱えて生きていかなければ、、
だから一瞬一瞬を大切に。
この作品を撮った監督にそこまでの意図があったかは分からないけど、今の私はそう感じた。

どんな時でも必ず朝は来る。
どうなるかと思ったラストシーンで、ルーフトップを開けて風に吹かれた姿を見て、すごくホッとした。
Melko

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