引用
雨傘運動 2017年3月の香港行政長官選から民主派の候補者を事実上、排除する制度を中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会が14年8月31日、一方的に決めたことに反発した若者を中心とした香港市民らが、同年9~12月に起こした大規模な街頭占拠デモ。香港警察がデモ隊に向けた催涙スプレーから身を守るため、学生らが使ったカサが象徴となって雨傘運動と呼ばれた。デモ隊はテントを張って幹線道路を占拠。「候補者に制限を設けない1人1票の真の普通選挙」を求めて抗議したが、同年12月11日までに強制排除された。
https://www.sankei.com/article/20180629-B3JPEYZJHRL67BSW77U4JGGWB4/3/
国慶節を祝し打ち上げられる花火の下で、デモ隊が取っ組み合っている冒頭の衝撃。なんというかグロテスクだった
デモを起こす人たちの間にはリーダーも政権もなく、各自がバラバラに行動していてアナーキーだった。それに対峙する政府・警察権力が武力行使で黙らせるという構図。それはデモ参加者を逮捕し抵抗する気力を失わせ、カメラのない路地裏で殴って蹴っては、胡椒スプレーを噴射する。路地を不法占拠しているという根拠があるから。
不法占拠ということについて、作中でレイチェルがデモ参加者を町の中心から邪魔にならない場所に移動するよう呼び掛けているシーンがあったが、実際座り込みのデモは邪魔だったのだろうかと思う。警察ではなく市民が、邪魔であることを理由に訴訟を起こそうとする場面もあった。反対派にとって、座り込みは通行、観光や経済の邪魔になっていたのも確かなのだろう。「目先の利益よりも長期的な利益を見て」というようなセリフがあったが、世間に対して不利益を与えるような仕方でしか訴えられない問題というものがあるのではないか(ゴッホのトマトスープ事件も同様?)。
個人的には、自然発生的に座り込みの中から青空教室が生まれていく様子と、空から最終通告のチラシがまかれる様子(本当にあるんだね…)が印象に残った。
デモに参加して逮捕され、就職が厳しくなったり、家族から白い目で見られたりするとしても、不正に立ち上がり続けることの難しさ。デモが終わってもその国で生きなければならない。この運動の後どうなったかについても知りたい。
最近仲良くなった香港の友だちが出てた。ので本人から話を聞いてみたいと思う。彼のことば→ "So no freedom in hong kong now, nearly all of the districts councillors elected by hk citizens has left hk to avoid being arrested." “This protest actually alerted the china communist party, that hk people do not think or act in the way they wanted, so they started to enhance their domination in hong kong society, squeezing the freedom all around, planning to isolating those who wants democracy, finally started to speed up these planning in 2019.”