MasaichiYaguchi

セザンヌと過ごした時間のMasaichiYaguchiのレビュー・感想・評価

セザンヌと過ごした時間(2016年製作の映画)
3.4
原題‶Cezanne et moi”(セザンヌと私)や邦題からも分かるように、本作ではフランスの文豪エミール・ゾラから見た印象派の画家ポール・セザンヌが描かれる。
この作家と画家の交流は知っていたが、少年時代から中高年に至るまでの間に、2人にこのようなドラマがあったことを本作で初めて知った。
この映画では、イタリア移民で母子家庭の一人息子のゾラ、銀行家の裕福な家庭で育ったセザンヌ、出自も境遇も違う2人が出会い、文学と絵画とジャンルは異なるが、表現者として夢や理想を語り合い、それに向かって夫々歩んでいく姿が美しいフランスの風景と共に描かれていく。
印象派の画家の大半は生前評価されることが少なく、よくて晩年か、死後にその素晴らしさを認められることが多い。
本作のセザンヌはその典型で、彼は‶不遇の天才画家”と称される。
一方、若くしてパリに出て文筆家として活動し、やがて小説を発表し、代表作「居酒屋」と「ナナ」で作家として不動の地位を築いていくゾラ。
母子家庭という社会の底辺から成り上がっていくゾラに対し、性格の気難しさや反抗的な態度で人を寄せ付けないセザンヌは、そういう性格も災いして、裕福な家庭の出ながら、どんどん落ちぶれていく。
この2人の親友の立場が逆転していくドラマには、世間に認められないセザンヌの哀れさと共に人生のままならなさや運命の皮肉を感じてしまう。
ゾラは少年時代にセザンヌに助けてもらったこともあり、困窮しているセザンヌに援助をして、その友情を繋げていくのだが、彼が発表した小説によって2人の間に大きな亀裂が入っていく。
この映画は、長年友情を保って歩んできたのに、何故ゾラがそれを壊すような作品を発表したのか、その背景に迫る作品でもある。
人によって本作から読み取る解釈は様々なものになりそうだが、ただ、セザンヌの静物画によく登場するリンゴや、晩年描き続けてきたサント・ヴィクトワール山に対する彼の心境が、最後は苦い断絶で終わったゾラとの友情を糧にしていたように思えてならない。