『Columbus』
Gia Margaretのアルバム “Romantic Piano” を聴きながらこの文章を書いている。
先日の台風で、ゲーム好きの友人とチャットしていた時のこと。
「雨の日は低気圧で怠いし、頭痛くなるから苦手だ」
と言われ、なーにを言ってるんだ、と言い返したくなる。
雨は音楽の響きを変えてくれる魔法じゃないか、と。
雨の音や空気感がエフェクトになって、音楽に深みをもたせてくれる。
この感覚が好きで音楽ファンになったといってもいいくらい。
そもそも雨の音自体が環境音として魅力的すぎるのだ。
気付いたら自分は自身の音楽論を力説し始めていた。
「静寂=無音
と勘違いしている人がいて、いや確かに物理的にはそうなのだけど。
音楽、特にambient musicの捉え方としては、音によって真の静寂をもたらすこと、(心を研ぎ澄ませる、と言った方がわかりやすいかな?)、を目的としていて.......」
途中でハッとする。
これ、いくら文字でのやり取りでもなかなか面倒なヤツだぞ、と。
慌てて「こういう話、延々と続けられるので、止めてください(笑)」とその場を取り繕う。
相手は「いやいや、とてもおもしろいから、好きなだけ話してほしい」と返してくれて、ホッとした。
目まぐるしいシステム化と商業主義の加速の中で、時々、自分の好奇心や探究心が価値のないものに思えてきたり、芸術への愛が強ければ強いほど傷付くような気がしてきて。
この無価値化にどうにかして抗おうとする。
偶然手を伸ばしたのはこんな映画だった。
『Columbus』
ずっと気になっていたのに、なかなか手を出せなかった。
率直に言えば、眠くなりそうだったから(笑)
なのに、再生したのは仕事から帰ってぐったりしている深夜。
不思議と眠気は襲ってこなかった。
それどころか、画面に食らいつくように夢中になる。
カフェインのようにガツンとくるタイプの衝撃ではなく、じわじわと細胞レベルで感性を眠りから覚ますような覚醒。
静謐な空間。
柔らかい語り口。
新緑を彩る瑞々しい環境音。
ひとつひとつの要素がランダムに散らばりながら、完全なバランスを保ってフィルムの中に存在する。
息を呑む。
建物と人間の間にある空気感を映像では、とりわけ言葉では表現できないから、音にすべてを預ける。
Hammockのサウンドがそっと響き渡る。
この映画は心の底から音楽を信頼しているのだ、と思った。
心の底から音楽の可能性を確信しているのだ、と思った。
セリフがオフになり、音楽がオンになった瞬間、目が潤む。
主人公のジン(名前が“n”で終わる)は語りかける。
「君が感動した理由に興味がある」と。
自分ならなんて答えるだろう。
「voiceからsoundへのあまりに自然であまりに美しい架け橋に、まるで祈りを込めてその瞬間の芸術を託すような受け渡しに、新たな可能性が湧き上がる喜びを感じたから」とでも言おうか。
呼吸の仕方を教えてくれるような映画だった。
安定した呼吸のリズムを取り戻させてくれるような映画だった。
この映画は、自分にambient musicについてのひとつの解をもたらしてくれた。