決して英雄ではない。
聖人君子でもない。
登場人物は、いずれも葛藤を抱えた凡人だった。その凡人たちが国家権力の圧力の下、初めて「報道の自由」の意味を真剣に考えた。そして、リスクを侵して「報道の自由」を守った。
だから、胸を揺さぶられました。
ワシントン・ポスト社主のキャサリンは、渦中の国防長官マクナマラと懇ろの関係。上場を控えた自社の役員を、マクナマラに推挙してもらうほどの親密な間柄だ。いわゆる「ズブズブ
の関係」に当たる。
さらにキャサリンにとって、一地方紙でしかなかったワシントン・ポストの成長を後押ししてくれたマクナマラは、最大の恩人でもあった。
そのマクナマラに関する超極秘文書をニューヨーク・タイムスがスッパ抜く。マクナマラが部下に作成させた極秘文書によると、 ベトナム戦争で米軍は、米政府の「優勢」という説明と裏腹に、実のところ大苦戦していた。米国民が衝撃を受けるスクープだった。
必死にネタを追うワシントン・ポストも、周回遅れで文書をゲット!その時、マクナマラがキャサリンを家に訪ねる。
「報道すれば国家反逆になる」
「君を追い込みたくない」
「大統領のニクソンはやる気だ」
「奴は狂っている。やられるぞ」
ニクソンの名を出しながらの間接的な脅しだった。
さらにニクソン政権は、特ダネを報じたタイムスを相手に新聞発行差し止め請求を裁判所に申し立てる。
政府の意向を知ったポストの役員や投資家は
「今度がこっちがやられる!」
「株が紙切れになる!」
「報道を中止しろ!」
と、上へ下への大騒ぎ。
だが、懸命にネタを掴んできた現場の記者たちは抵抗する。
「報道しなければ辞める!」
リスク回避へ報道を中止すべきか。
報道の自由を守るため勝負すべきか。
究極の決断を迫られたキャサリンの胸の中で、何かが目を覚ます。それは、ポストはみんなに信頼される新聞であり、たとえどんなことがあっても読者を裏切るわけにいかないという素朴な思いだった。
溢れそうな涙を目に溜め、声を震わせながら電話口で「記事、出しましょう」と決意を伝えるキャサリン!
キャサリンを演じるメリル・ストリープの神演技に泣かされました😭
本作品は、私たちに次の点を伝えていると思う。
①新聞社の経営のため、幹部が政権中枢と付き合うこと自体は否定されるべきではない。
②だが報道の第一目的は、国家権力の監視にある。監視を怠り権力になびけば、報道の自由は死ぬ。
この見地から日本の報道界を見渡すと、①ばかり熱心で、肝心の②をスルーしているのがよく分かる。というか、田崎某や岩田某のコメントを聞くと、冗談抜きで②の精神を知らないのではないかとさえ思う。
そもそも日本の政治記者は、大物政治家に名前を覚えてもらい、政局が動き出した時に電話に出てもらえることを目標にしていると聞く。
「◯◯先生に、夜明けまで
付き合わされたよ。ワハハ」
日本の場合、こうした懇ろの関係を続けることが人事上の高評価に直結するから、関係破壊につながるネタを報道するはずがない。ここが、いざという場面で権力との対峙を選んだポストとの決定的違いではないだろうか。
「報道の自由を否定するなんてできない。無理だ!」→キャサリンとベン
「権力叩いて英雄気取りか?官邸との関係どうすんだよ!」→日本の政治記者
民主主義と報道の自由が、凡人レベルで社会規範になっている米国と、そうでない日本。この違いが出た、ということだろう。
日本メディアの夜明けは
まだまだ遠い…(´-ω-`)