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アネットのnetfilmsのレビュー・感想・評価

アネット(2021年製作の映画)
3.9
 夜の劇場は夢遊病者たちを扉の向こうの世界に閉じ込め、息すらもせずステージで起こる出来事に夢中にさせるが、フレームは真っ赤な血で出来たギザギザで汚されている。その冒頭のノイズが予期するように、今作は誰よりも深い愛が別の何かへと転じる。スパークスの音楽のように阿吽の呼吸で繰り出される演奏に乗っかり、ヘンリーとアン(あるいはカラックスまで!!)は夜の石畳を力強く歩き始める。まずフランス語でなく、英語で繰り広げられる物語に度肝抜かれたが、舞台上で悲劇的な死を繰り返すオペラ歌手のアン(マリオン・コティヤール)とシニカルなジョークで人気を博すコメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)とは最初から運命の只中にいる。ショービズの世界を牛耳る人も羨むようなカップルの未来を人々は羨望の眼差しで見つめるのだが、ヘンリーは徐々に世界からそっぽ向くのだ。かつてウケていたはずの芸が今はウケないという独白があるが、私にはそもそも最初からヘンリーのステージは子供の駄々っ子のような単なる独りよがりにしか見えない。対するアンのオペラは独りよがりにならずにテキストに準じた表現を神秘的な身体性を持って演じる。その差は誰が観ても歴然に見えるが、男はショービズの末席に幼稚にしがみつこうとする。その姿はデモーニッシュな悪夢に憑りつかれているように思えてならない。

 40年でたったの6作(+短編1作)ながら、そのどれもが野心的な傑作と言うべきレオス・カラックスのキャリアも遂に60歳の大台を超えたものの、ちっとも円熟味を感じさせない。ヘンリーはショービズの数字を気にしているように見えて、大人になれない自我を酒や女やバイクで不器用にやり過ごすだけだ。昨今の#Me Too運動を揶揄する描写は悪い冗談のようだが、夢遊病者は心底憂鬱な夜を永遠にバイクにまたがり続けたいと願う。そしてアンは死のイメージに憑りつかれ、後部座席で目覚める(この場面は今作でも屈指の美しさを誇る)。キングサイズのベッドの上でただ一人ぶれ続けるヘンリーの病巣は妻とも娘とも永遠に向き合えない。心からの友人と一見丁寧で思わせぶりな態度を見せつつも、一度も名前で呼ぼうとしないヘンリーは果たして指揮者の名前を把握していたのか?アンが化けて出ることそのものにも見られる前に、アネットは最初から子供らしい子供の精神性を持たず、子供の風体もしていない。ヘンリーの独善的な一服のうちにアネットの面倒を見た指揮者とアンの霊魂とは夜にまどろむ寸前の美しい夕陽を見る。その姿は理想的な父親そのものでこの場面の情感たっぷりな描写は父親失格の自身の嫉妬心に映る。カラックスにとって子供はいつまでも「enfant terrible」な存在として不気味に見えるのだ。

 思えば赤子を引っ張り出した時から彼の表情は怯え、ハイパー・ボウルのハーフタイム・ショーも高みの見物する他ない。アダムとイブがかじりついた林檎は不器用な形をしながら、非対称となったフォルムを曝しつつくっきりと緋色に灯る。その瞬間、大人に見捨てられたピノキオのような子供の表情は、『ホーリー・モーターズ』とは対照的に活気を取り戻して行く。
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