[ある寡黙な女の孤独な闘い] 99点(OoC)
2017年のカンヌ映画祭コンペ選出組は本作品を除いて全て劇場公開されたことが話題となった。そうして私は漸くロズニツァの名前を知り、最も有名であろう本作品から彼の作品を巡るマラソンをスタートさせることにした。ドストエフスキーの同名小説『やさしい女』をベースにしていると言われるが、内容的にはカフカ『城』のほうが近いように感じる。
ふくれっ面のリース・ウィザースプーンのようなヒロイン"優しい女"が直面する現代ロシアの闇を丁寧に描いた重厚なドラマ。未だに帝国時代から脈々と受け継がれるロシアの闇の歴史を浮き彫りにする。犯してもいない殺人罪で服役する夫に送った荷物が理由も聞かされずに送り返されたことで女は直接届けに行くが、それも"ダメだからダメ"と追い返される。人は彼女を見て慣れたように"父親か?夫か?息子か?"と訊き、荷物の受取拒否にも"よくあることさ"と受け流す。
ロズニツァは居心地の悪い空間を創造するのが非常に上手いと感じた。オストルンドの冷笑的なそれよりも対象を突き放した感じが気に入った。例えば、激混みのバスの中で喧嘩する人々や電車で酒盛りする人々の側に女を配置し、カメラは執拗に混乱を描いた後に仏頂面の女を画面にパッと入れることで、彼女が当事者であると同時に我々やロズニツァと同じ観察者であることも提示する。女は決して"その他大勢"に迎合して今の状況が普通であると諦めないし、状況に麻痺して暮らす人々に対しては冷静な目を向けている。だからこそ、人権活動家の事務所で万策尽き果てた時に動揺する姿は心動かされる。
空間は居心地が悪いが、映像としては色彩感覚が私の好みドンピシャで驚いた。ワイエス『クリスティーナの世界』のような色彩感覚に至る冒頭から美しい映像が連なるのだ。ロングショットの使い方が非常に上手いのは個人的に評価したいが、最も気になるのは居心地の悪い空間を描くシーンでは女の仏頂面を写すショットを必ず最後に持ってくることだろうか。
ソ連は糞だったと言う若者に対してソ連時代の軍歌を歌って返す老人。息子を亡くした老婆を囲む彼らを執拗に観察した切り返しに"優しい女"が映り込む。彼女に紅茶を驕った老人はやがて"何をしたか知らないが私も5年ブチ込まれた、君の夫も帰ってくるさ"と女に返す。カメラは女に近づいて窓にすら誰にも映らなくなり、彼女の孤独を強調する。
刑務所の最寄り駅の広場にはレーニンの胸像がデカデカと残っている。この駅の名前はOtradnoeと書いてあり、英語訳するとJoyfulとなるのだ。そんな駅名は存在しない。この辺で我々は気が付く。この映画は"リアリズム"と"メタファー"の映画ではなく徹頭徹尾"メタファー"の映画なのだ。その後もメタファーの描写は通りの名前にマルクスやジェルジンスキー(ソ連秘密警察の初代長官)を冠していたり、人権活動家の部屋にスターリンの肖像画飾ってあったりすることで、持続していく。
刑務所では関連部署のサインがないからと荷物を突き返され、外で部屋を貸してくれるおばさんに話しかけられる。彼女についていく女だったが、酒を呑んで騒ぎまくる同居人に耐えられなくなって外に出る。翌日も書類すら見てもらえず、車庫入口で無言で立つという抗議をしたところ警察に逮捕される。目の前で殴り合いの喧嘩が起こって一人が気絶しているのに、警察は女の些細な罪を攻め立てる。
解放された女は前日に会っていたポン引きの男に再会し、元締めに会いに行く。途中寄った売春婦の家で刑務所の職員に絡まれる。元締めは簡易火葬場で恋人のバラバラ死体を燃やして発狂した息子の話をするが、別の男と話しはじめて席を離れる。女は人権活動家の事務所へ向かう。だが、活動家の下には大量の依頼が舞い込んでおり、女の依頼に結果が出るのは3週間ほどかかると言う。流石の女も最期の望みが絶たれたことに動揺していた。
駅に戻るも行く当てなく、疲れ果てた女は眠ってしまう。全員が眠った駅で、女は一昨日家に誘ったおばさんに起こされる。彼女は"全て用意ができた"といって女を外に連れ出し、警察の馬車に乗せる。画面全体が幻想的な青白い光に包まれて、珍しくカメラが揺れる。古き良き思い出を懐かしむ歌『長い道』が流れて幻想的な夜が強調される。やがて馬車はソ連兵の前で女を降ろして通り過ぎ、ソ連兵と森を進む女は山小屋に連れて行かれる。そこで、これまで出てきた人物全員がソ連時代の宴会を開いていた。それぞれが、今の生活や考えを述べるが、我々は同じ人間で国家の宝だと煙に巻かれる。共産主義とは原理的には人類平等という側面があり、ソ連としては対外的にはそうしていたが現状は違うということを示すシーンであり、その実ソ連時代の排除の歴史は現在とも陸続きであり、対外的な制約が取り払われた今となってはより過激化しているという事実を我々に突きつける。
宴会会場からパッと女の顔のショットに戻る。いつも通りの仏頂面を映すいつもの手法だ。そして彼女は宴会のメンバーに送り出されて護送車に乗り込み、警察官に強姦される。これは国家に"強姦"された女の現状を過激に示したものと思われるが、個人的には気に入らなかった。演出としても後で電車の音がするので駅で眠っている事がわかる。再び駅。例のおばさんに起こされ、"全て用意ができた"と言われる。女は彼女について行く。馬車の音がしないから繰り返すわけでは無いだろうけど、どうなったかは語られない。
"優しい女"と呼ばれた女は果敢にも国家に対して孤独な闘いを挑んだ。それがどういう結果を結ぶものであっても、ロズニツァの手によって、その記録は永遠に残されたのである。