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ザ・スクエア 思いやりの聖域のmasatのレビュー・感想・評価

4.0
「これじゃ猿に笑われるはずだ!」
と言う絶叫ラストシーンを思い出した。
人間が人間でいる限り“スクエア(誰もが平等の権利と義務を持つ、信頼と思いやりの聖域)”の周りを(あの階段の様に)ぐるぐる回っているだけで、なかなかそこへ入れそうに無い、いや、入れない、のだ。

何が起こるか解らない映画。
これはコワい。
2時間30分が一瞬である。緊迫と殺気が引っ張っている。
「良い映画は、よく解らない方へと進んで行く」とある監督が言っているが、まさしくこの作品の事。この監督の事。思えば『フレンチアルプスで起きたこと』(14)もそうだった。

ややこしい。気に障る。
そんな人間像を映しながら、遂には、3匹のチンパンジーが登場し、人間を嘲笑い出す。
一夜限りのセフレ記者は何故かホンモノのチンパンと暮らしている。アートについてのトークショーの客席にいる精神系障害症の男。そして美術館の盛大なパーティーに登場する余興男・・・
まるで、秩序の中への異物混入実験、だ。
思えば、冒頭の広場での大声を張り上げる女とその顛末も、そんな意表を突いた犯罪だった。
秩序とルーティンな日常を壊されると弱いのだ、人間は。
カットも馬鹿細かくなく抑制が効いており、見事なアングルと重厚感があるからどことなく真剣味を帯びているが、
これはもう映画的な“どっきりカメラ”と言っていい。そのくらい悪意のある冗談に振り回されてしまうのだ。
だから、オモロい訳だ。
映画創世記に初期設定されたテーマの一つ“見世物”趣向をよく心得ている。悪趣味で邪悪な煽りが、底意地が悪く、驚きの展開に拍車をかける。

また主人公を悩ませ追い詰める“状況における対応と対処”も、どっちに転んでも始末に負えない有り様は、まさにコンプライアンスに支配された2020年以降の今を予見してて、薄ら寒い。

どうにもこうにも“実体がない”こと、
言う事を聞かない感情に対しての果敢な挑戦は、唯一無二の才能を発揮していることは間違いない。
凄い。
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