映画漬廃人伊波興一

二十六夜待ちの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

二十六夜待ち(2017年製作の映画)
4.4
世の中には自分のために撮られたのでは、と錯覚する映画が存在する。

越川道夫
『二十六夜待ち』

これから私が申し上げる事はまだ喜悦の酔いから覚めぬ者の矮小な勘違いですから取るに足らぬ世迷い言として聞き流して下さい。

『私は猫ストーカー』『ゲゲゲの女房』(鈴木卓爾監督)や『かぞくのくに』(ヤン・ヨンヒ監督)『ドライブイン蒲生』(たむらまさき監督)といった近年無視出来ない力作を連発している敏腕プロデューサー越川道夫が自らメガホンをとった『二十六夜待ち』という映画。

これはわたくし個人のために撮られたに違いない、という戯言を申し上げたい次第です。

実際そう自分に言い聞かせねなければ、21世記の現在、破れた襖と朽ち果てた土壁に囲まれたカビ臭い畳間にて、もう若いとはいえない男女の情交への妬ましさを始末出来るわけがないのです。

しかもこれまで画面の片隅でしか意識してなかった天衣織女、さらに諏訪太郎から山田真歩までもが、現れるたびにそれぞれの役割に相応しい貌(かお)で画面を占めるのだから始末に負えません。

劇中ではその理由が一切明らかにされない記憶喪失のまま、諏訪太郎の計らいで小料理屋を八年も営んできた井浦新が、何もない二階の畳間で小刻み震えながら無言で黒川芽以に近づいていく場面。

東日本大震災によって行き場を失い、自覚ないまま胸の奥が冷たくなっている彼女はそんな彼を拒むまでもなく受け入れる

世間に対し、常に蹲踞(そんきょ)してきたこの2人が、(不運であっても不幸ではない)という言葉を現すようなこの情交は、出逢ったことを悔いる必要のない、まさに5分と5分の関係に他ならず、この世に存する全ての生き物の番(つがい)を代表する様な輝きを攪拌させていきます。

そんな2人が情交のたびに交わす睦言は、煙のように天井に沿って流れ、破れた襖やひび割れた壁の隙間から私たちが観ている画面の外に流れこみ、(二十六夜の月)の灯りがぼんやり包み込む闇の中に静かに溶け込んでいきます。

『二十六夜待ち』という映画の世評は幸い(❗️)な事にあまり芳しいものではないようです。
ならばいっそこのまま隠匿したい思いも強いのですが、かつて石井隆の(天使のはらわた)に心震えた記憶がある方になら、敢えてその欲に抗い、もし未見であれば、是非お勧めしたい。
既に観たという向きには『アレノ』を、そして最新作『海辺の生と死』までしかと見届けて欲しいと思うのです。