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マリア・ブラウンの結婚のnetfilmsのレビュー・感想・評価

マリア・ブラウンの結婚(1978年製作の映画)
4.0
 第二次世界大戦真っ只中のドイツにおいて、一組の男女が結婚を交わす。晴れてヘルマン・ブラウン(クラウス・レーヴィチェ)の妻になったマリア・ブラウン(ハンナ・シグラ)はその余韻に浸る間もない。指輪の交換の際に敵のミサイルが教会に打ち込まれる。当時のドイツ総統アドルフ・ヒトラーの勇ましい肖像画は爆撃の勢いで粉々に吹き飛び、からくも逃げ果せた夫婦と神父は瓦礫の山と土煙に包まれる中で夫婦になった証を拇印に込める。こうして行われたヘルマン・ブラウンと妻マリアの仮初めの結婚式、それからすぐに来る敗戦の合図に妻マリアは夫の帰国を心待ちにしている。ブラウンのジャケットを羽織りながら、その上にドイツ語で「ヘルマン・ブラウン」と書かれた尋ね人の段ボールの看板を背負い、彼女は焼け跡になったドイツの街頭に立つ。敗戦国ゆえの貧しい配給状況、生死のわからない最愛の夫を探す不安、戦争未亡人としての恐怖に苛まれながらも、彼女は気丈に夫ヘルマン・ブラウンの帰りを待つ。生きるために、米軍専用のバーにホステスとして入ったマリアは、恰幅の良い黒人兵士に惚れられる。しかし無情な報せが兵隊仲間から届く。愛する夫を一瞬にして失った女の悲しみ、言葉にならない喪失感がマリア・ブラウンを襲う。

その喪失感を埋めるものは何か?彼女は占領軍の黒人兵ビル(ジョージ・バード)と酒場でダンスに興じ、自らの喪失感を埋めるためだけに男に身体を委ねる。この一連の描写にファスビンダー・フリークは真っ先に『不安は魂を食いつくす』を想起するだろう。ブラウンという名前にも関わらず、白人が黒人に最初に抱かれる場面の皮膚の色めき立つような官能性が素晴らしい。茶褐色と透き通るような乳白色の身体から湯気や汗などの蒸気を発し、皮膚の上に立ち上った雫と汗が2人の激しい肉体関係を想起させる。かくして女は黒人の子どもを身籠り、2人の愛の結晶を生もうと決断する。そこにショッキングなまでに唐突に、幽霊のように気配を消した姿でふいに戦死したはずの夫ヘルマン・ブラウンが現れる。この描写は『四季を売る男』の主人公の焦燥感によく似ている。『四季を売る男』では妻イムガルト(イルム・ヘルマン)は夫であるハンス・エップ(ハンス・ヒルシュミラー)に対し、たった一夜だけの浮気を悔いるが、今作では戦地から帰った途端、現在進行形の妻の浮気を目撃することになる。この場面の夫ヘルマン・ブラウンのショックは云うまでもない。かつて愛した男ヘルマンと現在愛する男・占領軍の黒人兵ビルとの板挟みに遭い、前後不覚に陥ったマリア・ブラウンは空ビンで黒人兵ビルを殴り殺す。

第二次大戦の戦地から奇跡的に生還した男の喜びは、最愛の妻のために罪を被るという精一杯の愛情となる。裁判の場面のヘルマンの葛藤は云うまでもない。愛する妻を庇い、自らが罪を被ることで愛する妻を自由にさせようとする倒錯した愛情、『四季を売る男』では一貫して妻の不貞が許せなかった夫が、今作では様々な葛藤を経て妻を赦そうとする。その括弧付きの倒錯した愛情には心底打ちのめされる。マリアは自分の罪を被ることになった夫の出所の日を待ちわび、夫婦生活の基盤を準備するために打算的に生きることを決心する。身篭った子供を堕胎した女はやがて汽車に乗り、1人の初老の男と知り合う。繊維業者のオーナーであるオズワルト(イヴァン・デズニー)は彼女の流暢な英語に心を奪われ、彼の事業の通訳交渉人に誘う。その英語をマリア・ブラウンに教えてくれたのは、占領軍の黒人兵ビルに違いないが、彼女は自分の成り上がりの道具にオズワルトと彼の繊維会社を踏み台にしようとするのである。余命いくばくもない初老の男と、かつて大戦中に結婚した最愛の男、2人の求愛に葛藤する素振りを見せながら、マリア・ブラウンは一貫して殺人の罪を被ることになった大戦時の夫をただひたすらに愛すると決める。だがその決断も立身出世のためには自らの不貞を受け入れるしかない。檻の中にいる夫に対し、彼女がオズワルトとのSEXを告白する場面は残酷で息を呑む。肉体は奪われても、魂はあなたのものという無言のメッセージがまたしてもヘルマンを苦しめる。同時に無常感、侘しさは夫婦だけのものではなく、立身出世に利用されたオズワルトの人生をも例外なく狂わせていく。そうして数々の波紋をもたらしながら、愛の三角関係はヘルマンに葛藤と逡巡の末、妻からの逃避となるカナダ行きをもたらすことになる。

2人の男の間での引き裂かれるような恋愛の中で抜け殻になったマリア・ブラウン。仮初めの結婚の後、彼女に一度も訪れることのなかった夫婦の暮らし。倒錯したマリア・ブラウンの姿は合わせ鏡のように監督であるファスビンダーをも苦しめる。実生活では妻を愛しながら、同性愛の黒人との情事に溺れ、その後白人男性と関係を深める倒錯した性愛の只中にいたファスビンダーは、愛した黒人のフランス逃亡という失意の只中にあった。その頃から薬物に手を染めたファスビンダーが、自分自身の良心の呵責に苦しんでいたことは想像に難くない。今作は戦後世代派ファスビンダーの先の大戦を総括した強靭なメッセージを内包しながら、そこに出て来る倒錯した登場人物たちの入れ違いの恋愛描写は極めて深刻に心をえぐる。クライマックスの最愛の夫の帰還と、1954年サッカーW杯で決勝にまで上り詰めたドイツ・サッカーの成長とが交互にコラージュされるクライマックスの残酷描写は苛烈を極める。ドイツにとって、敗戦の痛みを払拭するかのようなW杯での活躍ぶりが、当のヘルマン・ブラウンとマリア・ブラウンの夫婦には一切の緩衝材にはなり得ない。その残酷なまでの虚無に対する、マリア・ブラウンの愛の深さに心底絶句する。娼婦に落ちてまで、ヘルマン・ブラウンを愛し通した女優ハンナ・シグラの少女性が垣間見える階段での着替えの描写が残酷なまでに胸を打つ。真に衝撃的なラスト・シーンに至るまで、いよいよ陰惨極まるファスビンダーがこの世に残した最高傑作であり、ニュー・ジャーマン・シネマ永遠の名作である。今作を見て衝撃を受けたトリュフォーは「ファスビンダーはシネアストの象牙の塔から飛び出した」というあまりにも有名な賛辞を残している。
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