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女ともだちのzhenli13のレビュー・感想・評価

女ともだち(1983年製作の映画)
3.4
観たくても観る手段がない『ペパーミント・ソーダ』の監督だったのか…

以前から思ってたんだが、たとえば誰か友達になった人がいた場合に相手に夫なり妻なりパートナーがいたら、なんでそのパートナーとも仲良くしなくてはいけないのか、今ひとつ理解できない。
その友達を好きなのであって、その友達のパートナーと仲良くしたいわけではないし、友達のパートナーだからといって気が合うとも思えない。それが互いにパートナーがいて子どもがいる場合は尚更。もっと言えば、友達の子どもにも同じことが言えるかもしれない。
とくに女性は、パートナーがいて子どもがいると友達と二人だけで会うことがなかなか許されない。寛容なパートナーもいるだろうし時代や国によっても違うだろうけど。
だから畢竟「家族ぐるみのつきあい」になっていくのだろうけど、それは社交であり集団レクリエーションだろう。それはそれの楽しさはあるだろうけど、親密な友達同士の気のおけない時間とは違う。

『キャロル』を想起せずにはいられないが、どちらかというとシスターフッドとして曖昧になっている。イザベル・ユペールとミュウ=ミュウ、髪色も顔の造りも違うが、二人ともウェーブのショートヘアで似たような髪型にしている。二人が同化するかのような。
中盤は淡々としたエピソードを並べてつないでいく。誰の視点で語られてきたかがはじめて明らかになる結末の置き方は鮮やかだった。全体の構成と見せ方は必ずしも成功しているとは言えないのかなと思った。

ユペール、次女、夫のアップが切り返され、それぞれ違う方向を見ている。浜辺の別荘の全景と子どもを連れたミュウ=ミュウの姿、フェイドアウトに伴い別荘のほつりとした灯りだけが残る、その浜辺の薄暗がりが美しい撮影だった。

女たちも男たちも、女たちはどうしても慣習的ジェンダーに従わされる場面はあったり、それゆえに男も暴力ふるったりするけど、それぞれに勝手であり、それぞれ悪いことはないという視点になっている。
その犠牲になるのはいつでも子どもだ。かといって子どものために親が我慢したり偽ったりするのもやはり違うんじゃないか。子どもの気持ちを思う必要はあるが。最終的にどう受け取るかも子どもの勝手でもあろう。

ドニ・ラヴァンがチョイ役で出てきた。
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