ちろる

モアナ~南海の歓喜~のちろるのレビュー・感想・評価

モアナ~南海の歓喜~(1980年製作の映画)
4.3
私は16歳の時一年間ニュージーランドに留学していたのだが、住んでいた学生寮にはサモア人の女の子たちが沢山いた。
大きなパレオのような布を器用に体に巻きつけて褐色の肌に美しく着飾り、いつもおおらかな笑顔で笑いかける彼女たちの姿をこの作品の中のモアナの婚約者ファアンガセの姿と重ねて鑑賞中無性に彼女たちに会いたくなってしまった。
もちろん100年近くも前の島の生活を映したこのモアナたちのような原始的な生活はないのだろうが、あの彼女たちのおおらかで根っからの明るい魂は確実にこのモアナたちの世代から受け継がれているのだろう。
タロイモを掘り、イノシシを罠にかけて、木によじ登りココナッツを取る。
桑の木の皮を剥いで服を紡ぎ、亀の甲羅で装飾品を作る。
愛する家族の皆で共に生きるために知恵を絞り、食べて、着てそして働く日々の繰り返しを通して人間として地球と向き合う賢さを身につけていく姿は逞しくただ美しい。
1926年に製作され、1980年にはサウンドと声を追加してリマスターされたこの映像は、モノクロではあるが、太陽の照りつける砂浜も、魚や貝が透き通るように見える海の透明度の高さもしっかりと伝わり、まさしく南海の楽園をこの小さな画面からも十分に享受できる。
なによりも平和と穏やかさに満ちた歌声がその映像美にも増してかけがえのない存在で、いつまでもあの音に包まれていたいとさえ思う。

因みにこの作品には主人公モアナが真の男になる通過儀礼として身体にタトゥーを入れるシーンがある。
何故ポリネシアンの原住民たちがこぞって身体にこのような墨を入れるのか?
これは私が以前聞いた話ではあるが、サモア島をはじめとしたポリネシアの島では少し前まで文字という概念がなかったという。
文字を持たず書物を持たない彼らが自分たちのルーツ、いわば家系図のような印を来世に残し続けるために、特に高尚な家系の長になる男はこの苦痛に耐えて墨を掘らなければいけないのだ。
その事をふと思い出しラストの儀式のシーンを観れば、単なる100年近く前のポリネシアの若者たちの姿を見せられているのではなく、未来へ繋ごうとする彼らの想いまでしっかりと噛み締めることができる。
それがこの作品を撮影した監督ロバート フラハティからその娘モニカが意思を受け継いでからさらに美しく蘇ったこの作品が今私たちの元に届いた奇跡にも重なる。

結果的にこの作品からは、モアナたちのあるがままの純粋でおおらかで平和な世界を知ることだけではなく、過去の想いを子孫がしっかりと遺していくことこそが人間の営みの中で忘れてはいけない事なのだということも同時に考えさせられた作品だった。
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