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千と千尋の神隠しの教授のレビュー・感想・評価

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
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端的に言って、とても変な映画だと思った。世界的に言われる「独創的なイマジネーション」というのを本作で初めて存分に体感した気がする。

カオナシ=実体のない資本主義経済の闇、坊=引きこもりの子供、湯バード=常に権力と同調し監視するメディアという、いかにもな現実社会の中の「悪」の存在のメタファー。それらのテーマ性を相殺するような釜爺、頭(かしら)などなど見た目が楽しいのか気持ち悪いのかの境界を右往左往するキャラクターの豊富さや、加えて圧倒的に「湯屋」の作画もそう。とにかく画面全体の迫力と微細なディテールで圧倒してくる。

この画面のカオス感、グチャグチャ、ゴチャゴチャな中、物語は至ってシンプル。キャラクターが象徴するメタファー。物語の展開上「言わんとすること」は簡潔にセリフでも説明されるが、先に述べた圧倒的な画面とディテールの情報量で、語ろうとしている物語は経済活動についてだったり、労働についてだったり、神々の住処に簡単に押し入って食い散らかしている「豚」である現代の大人=親であったり。
21世紀初頭の、当時の日本の「闇」の本質が余すことなく描かれている。

はっきり言ってそれぞれのメタファーや作劇的表現はかなり荒削り。しかし、この単純化の中に、宮崎駿はかなりの激情を乗せる。「嫌なものは嫌だ」「不快なものは不快だ」そしてそれらは「悪しき敵だ」という感情を、豊富なイマジネーションの中に青臭さすら感じるほど、ストレートにぶつけてくる。その歪さが「ジブリアニメ」の本質と重なってくる。

シンプルで明解なストーリーラインの中に、物語の破綻と異物を詰め込み、かなりの力技で捻じ伏せてくる。終盤は失速とも言えるほどベタな展開にも見え「物語を語りきれない」という明解な答えに辿り着けないというただ、一層の混乱を抱える宮崎駿のエモーションが躊躇いもなく滲み出ていて、つくづく「作家性の強い」映画だと感じてしまった。
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