『ハドソン川の奇跡』のエンディングから感じた嫌な予感が完全に外れた。凄いぞ、イーストウッド!
……とはいえ何なんだこの変な映画は…。ちなみにこれほど予告編が何も語っていない映画は珍しい。
そういえば去年、早稲田松竹で『ハドソン川の奇跡』とイエジー・スコリモフスキ『イレブン・ミニッツ』の2本立てがやっていたが、この作品でイーストウッドはある意味でスコリモフスキ化したと言えるかもしれない。
実話を元にした話で本人まで出てるのに、ある意味で森達也以上にフェイクというか、フェイクという言葉が不適切なら編集も脚本も奇妙すぎる。
黒沢清が5年くらい前に「イーストウッドの映画には普通ならボツだろうという間の抜けたカットが結構出てくる」みたいなことを肯定的な文脈で語っていたが、ようやくその意味がわかった気がする。
この作品の終盤の展開をもって、これまでのイーストウッド特有の両義性は失われたと断じることは容易いが、様式化した両義性からさらなる複雑性へと描くものが変わったとも言える訳で、イーストウッドは85歳を超えてなお自分の映画をアップデートしようとしている。これはあまりに驚異的なことだと言わざるを得ない。