実話を映画にしていたはずがそのままのシークエンスで現実(ニュース映像)になり、こちら(観客)側の現実や人生にさえも迫ってくるという、奇妙な映画体験だった。自分でも何を言っているかわからなくなってきたが、そんな感じがした。リアリティを求めた結果なのかそっちの方が手っ取り早いと思ったのかどうか知らないが、87歳にしてこの実験的な映画を撮るとは、イーストウッドは一体どのような境地に達しているのだろうか。
人間はどうやったって未来を知ることはできない。現在や過去の行動が未来にどういう結果をもたらすかわからない。運命なんていうのは後付けでしかない。これまで全てに意味があるのか否か、畢竟、意味を持たせるかどうかは、今、ここ、における自らの行動次第である。偶然か必然かの区別など、どちらでもよいのだ。