ニューランド

万引き家族のニューランドのレビュー・感想・評価

万引き家族(2018年製作の映画)
3.8
初期の『ワンダフル・ライフ』『空気人形』等大胆題材への果敢な挑戦、その危うさも目立った頃に比べると、近年の是枝は文句ない秀作も多いと思いつつ、私が勝手にディスカバー・ジャパンシリーズとも呼びたいとも思ってる、必要以上の普遍性への向かいがひっかかる。
本作における、(細野晴臣による)音楽の場面場面の正負のニュアンスに微妙に完全フィットしたような奇跡的な、最良の’60年代邦画の挑戦性持つ風俗映画のいくつかだけが持ち得たトーンにもマッチした、妙に細かく角度・位置・移動をつなぎかつその目がみえない一体的な、そしてその中から強くバンと一面的図も挟まれる、映像タッチ。何より、この近年の日本からは消えたような、薄汚れ、くすみ、光も行き渡らず丸くボケたような、家屋内外の空間トーンはつい半世紀前の日本では少なくとも特別なものではなかった。だいたい、この偽家族の成り立ち、個々の過去、ビルに囲まれたこの縁側も時に賑やか一軒家が老婆独り暮しとの嘘を守り抜き続けられるのか、等々、説明不足(小出し)で解らない事が多い(後の取り調べで一応説明はあるが、感覚的にはしっくりこないところもある)。しかし、それが本作の持ち味で、血の繋がった家族、役所・勤め先が括るだけではこぼれてしまう、地縁も特定出来ぬ浮遊する人間関係が、少し前までの日本の隅には存在し、一般家庭に入り込んで来ていた。私にはこの人たちは無縁ではない(少なくとも、現代特有犯罪者であってもこの中の大人たちは。そして子供たちも時代の犠牲者を超えた、広い視野・歴史~自覚してない自分史~を持っている)。そしてそれらは、定義出来ないような機能を確かに持っていて、背後のない「期待されてない優しさ」「選び作った固有の絆」から何かを豊かにしていた。誰もそれを必要以上に明らかにすることはなく、普通に容認してる事が多かった。今ではそんな存在は隔離されてしまう、その一員の精神に異常をきたした人たちも、日常空間にそんなに違和感なく存在していた。旧めで田舎の人間の私には、本作の偽家族は懐かしかった。その限界も、その価値も、両面本作は描いてく。
その意味で、本家族の(意味も問う)取り調べ中に長い無言の後「何だろうねえ」とつぶやき、涙を拭く安藤サクラをはじめ、じつに味わい深い演技に充ち溢れている。リリー・フランキーのいい加減な独自信条もなにか奥ゆかしく、女の子にも見える少年の現実的思考もとてつもない純粋さと神秘を感じる(その他、松岡茉優の役は、人一倍求めながらただひとり端から救いから見放された哀しく屈折した性格で、こういうのをやらせると本当にうまい)。私には少し高級の違和も感じるも、名作としか言えない~だからか少しだけ説教くさく退屈な面も~シーンが内面よりの崇高さを感じさせていくつも出てくる。
しかし、この方向に表現の現在は存在しているのだろうか、と気になる。(特に、逮捕取調べ・各々の途の終盤は)映画として、見事な余韻を与えてくれたが、いま、私が映画や表現に求めようとしているものは、あまり引っ掛かってこない。真の意味での(かつてあった)とんがったリアリティ・痛く身近か思い当たる何かも要所に必要なのではないか。
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