玄助

彼が愛したケーキ職人の玄助のネタバレレビュー・内容・結末

彼が愛したケーキ職人(2017年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

頭が悪い言い方ではあるが、一言で言えば考えさせられる映画であった。

まず本作においては人種や国籍、宗教、文化は重要な要素ではあるものの、それらはあくまでもスパイス的な位置づけであり、本作の主題は愛であると私は思う。しかしながら、本作を歪、哀れ、美しい等等の形容詞が付く愛の映画!で簡単に片付けるのはとてももったいない。皆が自分の考え方や価値観を変えるきっかけにできる映画であると感じるため、是非とも見終わった後にグルグル考え、あーでもないこーでもないと言いながらよく咀嚼して欲しいなと思う。

さて、私自身がLGBTに対して理解があるのかどうかは私自身では分からない。
しかしながらそれは恋する対象、欲情する対象が異なっているだけのことであり、社会的にどう見られるかはさておき、本質的には何も変わらないと私は思っている。また、愛は性別、性欲等関係なくもてるものであると考えている。

だがこの映画を鑑賞し、その前提となる恋、欲情の対象ないしは愛の対象ということに対して、まだ自分の考えが浅いということを自覚させられた。

本作においては1人の男性オーレンを愛した愛人の男性トーマスと妻の女性アナトが登場する。これまでの常識とされている、いわゆる恋・性欲の対象は1人であるべきということに囚われた見方をすれば、同じ男性を愛していた者同士で埋めようとする偽りの愛ということになるのかもしれない。

私の考えではトーマスもおそらく最初はそうだったのだと思う。亡くなった恋人の面影を探して彼の故郷にまで足を運んでしまった。何がしたいというわけではなかったのだろう。ただ愛するものが亡くなったという悲しみを整理するため、彼が生活し見てきたものを自ら見て聞いて触って、彼との大切な時間を思い出し、慈しもうとしていたのではないだろうか。

トーマスは、自身こそ認めていなかった、もしくは納得しているつもりであったものの、孤独であった。そんな彼を愛し、そんな彼を孤独から救いたいと思ったからこそオーレンは家族を後にした。アナトに対する恋、欲情があったのかどうかは定かではないが、アナトないしは家族に対する愛は間違いなくあったであろう。どのような葛藤があったかはわからないが、自分の妻子供には兄、母が側にいる。しかしトーマスには誰もいない。だからこそオーレンはトーマスを選んだのではないかと私は思う。

オーレンの愛した人々、生きてきた環境の中での生活を通してトーマスはそのことを知る。彼はオーレンに家族がいることから半ばオーレンとの幸せな生活など諦めていたと思う。また、プールで見つけたコンドームを見て、オーレンが他にも火遊びのようなことして関係を持っていたことも想像してしまっていただろう。しかし、アナトからオーレンがトーマスの元へ行こうとしていたことを聞き、さぞかし複雑な思いを持って目を潤ませる。自分がそこまで愛されていたこと実感し、その先に彼との生活があったかもしれないことに想いを馳せたのだろう。

次に本作品の中において私が最も興味深く思った点を述べる。それはトーマスとアナトの関係である。アナトは疲れや寂しさ、トーマスの頼り甲斐のある姿や、その純朴さから、ある晩彼にキスをせがみ、ことに及ぶ。トーマスの狼狽ぶりからは彼が何を思いそれに応えたのか想像するのが難しい。彼はその場を取り繕うために応えたのであろうか、それとも彼女を哀れんだのだろうか、慈しんだのだろうか、欲情したのだろうか。答えはわからない。「ゲイなんだから欲情はしないでしょ!」という人もいるかもしれないが、本当にそうだろうか。これを読んでいる皆は、自分の今まで学んできた教養、常識、道徳心全てをゼロにした時、本当に自分の恋愛対象、欲情対象は今自分が信じている性別であると胸を張って言えるか?私は言えない。単純に固定観念で制動しているだけのようにも思う。

さて話を戻すが、この時何を思ってトーマスがアナトと愛を交わしたのかはわからなかった。ただその後も続けていく中において、トーマスが、アナトとの行為において、オーレンのやり方を真似ていたのを見た時、私はそこにトーマスのアナトに対する愛を強く感じた。何からくる愛かはわからない。ただあの行為はアナトを純粋に安心させ、喜ばせ、愛する行為であったと思う。
オーレンの母方との関係や息子との関係もしかりであり、彼はそこに家族の愛を感じていたように思う。最初こそオーレンの面影を追ってきたものの、最後、ドイツに帰れと言われて流した彼の涙はオーレンとの別れではなく、その家族との別れに対して流したものであろう。付け加えていうとこの涙を流すシーンはよくできている。ここまでの間トーマスはあまり感情を顔に出さないため、観る者に彼が何を考えているのかを巧みに考えさせる。だからこそ、この涙を流し感情を爆発させているシーンのインパクトがすごい。

最初こそショックを受けていたアナトも彼と同じく紛らわしから入ったものの最終的には彼を愛していたのではないかと思われるし、実際にそうであって欲しい。
ここに至ってはトーマスとアナトとの関係にはもはやオーレンを介在しない関係があると私は思う。伴侶に対する愛が一つしかないと考えるのであれば、それはいわゆるドロドロで複雑な三角関係だが、一つであるという考えを捨て、比較では説明できない愛を肯定するのであれば、オーレン、トーマス、アナトは同じ愛をただ共有し合うとても近しい者たちであるとも考えられるのである。この点において私は本作より新たな気付きを得ることができ、今までの自分の思慮の浅さを痛感したのである。恋、欲情、愛といった類のものは言葉により定義づけされることでその輪郭を保っているが、本質的には分けることができないものなのかもしれない。

最後アナトはトーマスに戻ってきて欲しいと伝えにベルリンへ行ったのではないか。そこまでは描かれていないものの、私はトーマスがその後エルサレムに戻りアナトたちと幸せな生活をしたのだと思いたい。
玄助

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