映画漬廃人伊波興一

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの映画漬廃人伊波興一のレビュー・感想・評価

4.5
当たり前である事と、期待・予想通り、とは明白な才能の差が介在するのです。

クエンティン・タランティーノ『ワンス・アポン・タイム・イン・ハリウッド』

タランティーノ作品と聞くと必ず(コロンブスの卵)が頭によぎります。

(誰もが思いつかない事)をやってみせるのが独創的だ。と、普通の方々ならそう思う。

ですが、(当たり前過ぎて誰しもが思いつかがなかった事)を堂々とやってみせる事もまた、独創的なんだぜと、ドヤ顔で申し立てるのが我らがタランティーノです。

その姿勢は処女作『レザボア・ドッグス』からこの最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』に至るまで一貫として変わっておりません、

その事を改めて、率直に喜びたい、とまずは思うのです。

事実、彼の映画にいつも驚かされるのは、私たちが常に映画に対して(当たり前ではない事態)を求めているからに他なりません。



ギャング映画の醍醐味が疑心暗鬼の攻防である。
だから襲撃場面なんて必要ないなんて、当たり前と、タランティーノは申してます。

さらに血糊で汚れた後部座席は丁寧に洗い流すしかない。
当たり前の事です。
だからハーヴェイ・カイテルはサミュエル・L・ジャクソンとジョン・トラヴォルタに普通に車内清掃を命じたのです。

ジッポライターは一発目は大抵はカスるだけで点かない。
当然の事です。
だからベルボーイのテッドは躊躇なく相手の指を切断して金をせしめたのです。

服部半蔵の教えを受けたなら、ユア・サーマンさえ百人相手のチャンバラも不可能ではない筈。

あれだけのあおり運転をすれば、その代償でカート・ラッセルが女三人からポコポコにされるのも当然の事。

更には、ナチスのクリストフ・ヴァルツや奴隷農園の大地主レオナルド・ディカプリオらが市井のユダヤ人女性メラニー・ロマンや黒人奴隷ジェイミー・フォックスらの手によって木っ端微塵にされるなんて当たり前なのです。

そして本作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』にしても、映画界の大罪人、ポランスキーが他ならぬ映画そのものによって鉄鎚を下されるのは当然の事です。

タランティーノは今度もまた、堂々とコロンブスの卵を私たちの前で割ってくれたのです。

それは何が正しいか、とか、何が映画的か、などの問いかけそのものを、一切無駄な冗舌として無効にする爽快さというべきものでしょうか。