イスケ

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3のイスケのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

ロケット・ラクーン。。。泣

「逃げるのはやめた」という言葉の中に、文字通り逃げずに戦うこと以外に、自分のアイデンティティを受け入れるという意味が含まれているようで、本当に泣けた。

彼は心のどこかでは自分をアライグマだと分かっていたのだけど、悲しすぎる過去があるがゆえ否定していた側面もあったんじゃないかな。

自分がアメリカのアライグマだと分かり、それを受け止めた。

完全を求めて自分より劣ってる者を廃棄するハイ・エボリューショナリーと、ありのままを受け入れるガーディアンズ。

真の自分を偽ることも隠すこともなく受け入れている人は強いですね。

ライラが命を落とすシーンと、ロケットが死にかけた時に仲間たちと再会するシーンは思い出すだけで泣けるレベル……何度唇を噛んだことか。。



いやぁ、それにしても「誰も死なない」という結末は驚いたし、めちゃくちゃ嬉しかった!

予告編の雰囲気とか「パート3では重要な誰かが去る」というジンクスもそう。
ジェームズ・ガンやデイヴ・バウティスタ、ゾーイ・サルダナがMCUから去るということを明言しているというメタ的な視点からしても、誰かは命を落とすのだと思ってました。

安易に「死」で終わらせずに、それぞれの生き方を見つけて、おそらく今回の裏テーマになっていたであろう「やり直す」というところに全員を着地させたガン監督に拍手を送らせてほしい。


他にもガン監督の手腕として特筆すべきだなぁと感じたのが、
これだけキャクターがたくさんいるのに、コスモまで含めて、誰一人霞むキャラがいないところ。本当にすごい。全員を推せる。

クイルとガモーラ、マンティスとドラックス、ロケットとネビュラ、ロケットとグルート、クラグリンとコスモ。

ファミリーとしての絆をベースに、その中に存在する特別な関係性。

MCUはクロスオーバーが魅力なわけだけど、ガーディアンズはシリーズの中だけでそういった積み重ねが描かれてるのも尊い。

ロケットが復活した時に感情が溢れ出したネビュラにはマジで感動した。


でさ、ヨンドゥってなんなのよ。
数秒登場するだけでカッコいいし温かいし泣けてくるじゃん。

いや、冒頭でクラグリンがヤカの矢を上手く扱えないところを見て、「きっと後半活躍する前フリなんだろうな」とは分かるんだよ?
コスモを「良い犬」って言う展開があるのも分かるんだよ?分かるの。

でもそこでヨンドゥ出してくるとかさw
軽々とハードル超えてくるんだもの。

ヨンドゥとクイル、ヨンドゥとクラグリンの関係性もシリーズを追うごとに見えてきて素晴らしかったな。



ドラックスの父性が見えたのも凄く良かった。

元々の登場がサノスに妻子を奪われた人物というスタート。
インフィニティ・ウォーではサノスへの復讐のバトルこそあったものの、多くの場面では子を失った父親という側面を忘れるぐらいおバカ要素の強いキャラになっていた。

そのドラックスが本作の後半で見せた父親の顔。
そう言えば、優しい「父としての顔」を見たのは初めてだったかもしれない。

シリーズの最後の最後に、再び彼の本質を照らすという話の流れも天才的だなと。


そして、マンティスも最後にガーディアンズを去ることを決断。

最近はコミカル要因としても抜群の存在感を発揮していて、ドラッグスとのやりとりは特に面白かった彼女の初登場時は、エゴの娘というよりはお人形さんみたいだったよね。

そんな彼女が、ホリデースペシャル等を経て、どんどん自我を出すようになってきた末に、自分探しに旅立つという「自分が主体」というところに辿り着いたことが熱い。


ドラックスとマンティスという、普通であれば隅っこのキャラで終わりかねないところにも、主役に劣らないほどの光を当てる。全員のストーリーがはっきりと見える。このあたりも最高でした。



グルートについて、一緒に観に行った友人がこう解釈していた。

最後に「アイアム・グルート」以外の言葉を喋ったのは、観ているこちらもガーディアンズと同じファミリーになれた演出じゃないかと。

つまり、グルートの「アイアム・グルート」をメンバー達が解釈できていたように、僕らにも彼の言葉を理解できたということ。

その解釈に物凄く合点がいった。
彼がこれまでと異なる言葉を喋ったわけじゃないんだと。



一番変わったのはネビュラだろうな。

思えば、サノス戦の後に取り残された星で、トニーと紙サッカーみたいな遊びに興じたあたりから軟化して、ガーディアンズのファミリーとの絆の中で大きく変化した。

指パッチンでみんなが消えてしまった空白の5年間をロケットと励まし合いながら生き抜いたこともネビュラの人格形成に影響したことは想像に難くない。

まさに今回の動物実験のようなことを自分がされていたという壮絶な過去を持つネビュラが、リミックスのラストでガモーラから、

「きっとあんたみたいに苦しんでる子たちがいる……一緒に助けてくれない?」

と言われたセリフがまさか伏線になるとは。。

悲しすぎる過去を乗り越えて、既にこの世にはいないガモーラとの約束も果たす形に帰結していく展開は美しさすら感じた。


クイルとガモーラがくっつかなかった展開もマジで好き。

ガモーラはクイルの荷物を漁ったり、大切であろう写真を渡したりする中での、

「私たち楽しかった?」

という最後の言葉だもんね。
ガモーラもクイルに愛情めいたものを感じていたのは間違いない。同じ人間だしね。

でも、同じ人間だったとしても、ちょっとしたタイミングやボタンの掛け違いで全く違う展開になり、その後の人生が大きくなるものだと思います。

クイルとガモーラの関係のついては、僕らが日々のIF、数多の選択によって「今この時」という時間の先頭に立っていることと、何らか変わりない。人生訓のようなものだなと。

彼らが一緒になることは特異点では無かった。それだけのことなんでしょう。

マルチバースサーガに突入しても、このシリーズは独自の道を歩んでるように見えたけど、クイルとガモーラからはマルチバースを強く意識することができるよね。



ほぼ完璧に近い大団円だった中で、唯一思ったのは、アダム・ウォーロックがアホキャラみたいになってしまっていたのは、いささか勿体ない気がするなとw

まぁ、でも可愛げあってキャラクターとしては好きだし、「しいて言えば」程度。

ハイ・エボリューショナリーのクズっぷりも個人的には良かったと思う。

サノスやカーンは手法にこそ問題があるのだけど、彼らなりの宇宙救済の哲学がある。
でも彼の哲学はただただ自分のためのものに見えた。
とことん悪い奴として描かれていたから、よりガーディアンズが輝いた面もある。ヴィランも色々です、これはダイバーシティ。

ロケットの頭脳に嫉妬してるのは気持ちよくもあったりね。



クイルは今地球にいる。

いずれ616の地球にカーンがやってくる展開があるならば、地球からロケット率いるガーディアンズのメンバーにSOSを送るいう胸アツ展開にも期待してしまう自分もいる。(MCUファンの悪い面ですかね)



P.S.
最後の音楽の使い方までズルいw
さすがマーベル、いや、映画界全体でも随一のDJ映画!

ガン監督ありがとう!
いつかDCとMCUの架け橋になって下さい。

正直、次のアベンジャーズをルッソ兄弟が担当できないのならば、ガン監督に指揮を取って欲しかった。
イスケ

イスケ