しの

ここは退屈迎えに来てのしののレビュー・感想・評価

ここは退屈迎えに来て(2018年製作の映画)
2.3
過ぎ去った青春を眼差す作品はいくつもあるが、これはその寄せ集めという感じだった。ユニークなのは時系列シャッフルの群像劇であることと長回しの多用だが、台詞も画も説明的。「あの頃に戻りたい」の「あの頃」も、それを語る話者もそこまで魅力的でないので全体的に希薄。

まずこういう作品は「過ぎ去った青春」を(主観的にでも)魅力的に描かないと成立しないと思うのだが、そこが足りない。学校の校庭、下校時のハンバーガー、友達とのゲームセンター。どれも特別な時間・場所であるように感じられない。だからそれをいくら憧憬しようと説得力がない。

長回しの画も結構つまらない。というか個人的には長回しより引きの多用が印象的だった。いい意味で突き放した感じ、傍観している感じが出ていたと思う。特に印象的だったのはプールの鳥瞰。プール=青春という入れ物の中に雑多なキャラが蠢いていて、その一人一人に憧憬の物語があるように思わせる。思わせてはいる。

しかしながら、次に「話者」に関してだが、これも魅力的でない。地方に戻ってきた人、地方から出れない人、クラスの中心人物に憧れていた男、元カレを諦められない女、結婚を急ぐ三十路近い女……などなど、確かに地方都市に居そうなキャラはわんさか出てくる。が、あくまで「居そう」でしかない。キャラのバックグラウンドや関係性を説明的な台詞と映像で示すだけなので、結局は実感を伴わない「あるある」の域を出ないのだ。従って、雑多なキャラたちを繋げる『茜色の夕日』も、全生徒を巻き込んでいくプールも、本来ならとても魅力的に映ったはずなのに土台が希薄だから活きてこない。

本作おける『茜色の夕日』について詳しく触れておく。要は「ここじゃないかもしれない」「でも進むしかない」と感じている全ての人の共通体験として使われていて、それは曲の解釈として良いと思う。ただ、本作でその曲を使うとなると、前述したような「それらしい」キャラたちが人々の共通体験を叫ぶということになるわけで、もうそれ曲だけ聴いた方が良いのではと思ってしまう。

キャラクターが各々想い想いの感情をあの曲に託しているはずなのに、そこには共通した何かがある。これは我々が普段まさに『茜色の夕日』という曲で味わう体験なのだが、その映像化としてはやはり魅力が足りない。繰り返しになるが、曲の情景(映像)も、「その情景を見出す私たち」(話者)もイマイチだ。演出として唐突感も否めない。

結局、それらしいキャラを取り揃えて、それらしいことを言わせて、それらしい地方都市の風景を延々と見せて、「さぁこの中にあなたを見出してください」と言っているような作品であると感じた。うっすらリンクする群像劇も、瞬間を捉えようとする長回しも、オリジナリティではあるが全部「それらしさ」のためのものでしかない。最後にそれら全てを包み込むような主題歌『Water Lily Flower』が魅力的だったのが唯一の救い。
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