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デューン 砂の惑星PART2のしののレビュー・感想・評価

デューン 砂の惑星PART2(2024年製作の映画)
2.5
前作より10分長いが体感時間は短い。流石に今回は物語が展開するし、戦争を仕掛ける話になるため必然的にアクションも増える。サンドワーム初乗りシーンなど印象的な映像や、モノクロ闘技場など色彩のメリハリはあった。しかしこれらはあくまで“※前作比”で、語り口自体は相変わらずでキツい。PART1がイマイチだった自分は引き続きノれずだった。

これは前作に引き続きの点なのだが、何故この監督は基本的に壁紙みたいな引き画か工夫のない寄り画しか撮らないのか。サンドワームが3匹に増えても巨大感の表現が全く進歩しないのがヤバすぎる。途中、サンドワームに初めて乗るシーンの幾つかのカットと、タコみたいなマシンに襲われるシーンの幾つかのカットは良かったが、それ以外まったく巨大なものを巨大に感じない。

たとえばサンドワームで隊列を組んで移動するシーンでは、操縦者等を映す寄り画と、砂嵐に向かっていく構図を示す超俯瞰の画の2つが主で、「どういう景色が見えるか」「どういう体感があるか」みたいなものを示すショットの連なりがほぼない。移動してます、の事実確認でしかない。終盤でサンドワームを3体けしかけるところも、「サンドワームを3体けしかけました」と示すだけで終わってしまう。攻撃された側/攻撃する側がどんな光景を見るのか、みたいなところに全く興味がなく、やはり事実確認的なカットを提示するだけ。結果、観終わったときに内容を覚えていないのだ。

物語構成も微妙だった。ポールがフレメンという種族に触れていく前半は確かに面白い異文化描写がいくつかあった。しかしながら、彼が異種族にどのように受け入れられ、あるいは受け入れられないのか、という部分が実はあまり描かれておらず、「サンドワームを乗りこなせたのとお母さんの布教で気付けば英雄視されてました」くらいの印象しかない。結局、ポールがフレメンに馴染んでいく過程は儀式的にすっ飛ばして、ジョシュ・ブローリン視点で目が青くなったポールに邂逅するという形で省略してしまうし、後半でポールが命の水を飲むくだりもあれよあれよという感じでこれもまた過程がない。

するとドラマの主軸が弱くなってしまう。本作では、救世主という「物語」に寄せれば寄せるほど1人の青年ポールであるということから乖離していくというジレンマが重要なはずなのに、この前半で「1人の青年ポール」が描かれないため、終盤で「あのポールがこんなことに……」となる悲劇性が際立たないのだ。フレメンとの交流でその辺りが垣間見えれば良かったのだが、そういう描写を入れる気がない。また、ポールが救世主の物語に吸い寄せられてしまうのは復讐心も強く影響しているはずで、それはラストでの皇帝への振る舞いに繋がってくるわけだが、これもSWでいう「ルークがダークサイド化するか否か」の葛藤が道中でほぼ描かれない。

結局、ポールは前作に引き続き予知夢に右往左往している人という印象になってしまうのがまずいと思う。今回チャニ視点を大きく導入して宗教や英雄というものを俯瞰し、そこにほろ苦い後味を与えるという試みは英断だと思うのだが、前述のような描写不足によりドラマとして成立していない。ラストカットが機能しない勿体なさ。

というか、全体的になんとか面白くしないように努めているような構成とすら言えるかもしれない。たとえば、今回ライバル役になるフェイドを序盤から導入せずに中盤でいきなり登場させて彼のパートを延々続け、最後の最後まで彼とポールが直接会わずに因縁を持つこともないまま、決闘で「ようやく会えたな」と言わせる。秒で敗走するラッバーンも意味がわからない。

そして極めつけはあのクライマックスだ。奇襲攻撃であるのに加えて、物語的にもアンチカタルシスにしている部分はあるのだろうが、にしても観終わった後に戦争してたかどうかすらあやふやになるほど印象に残らないのはどうなんだ。なんか爆発して男爵死んで決闘して勝った……くらいの印象しかない。というか前作で150分以上付き合わされた挙句に「これは始まりに過ぎない!」とか言われて、じゃあ続編ではさぞかしド派手にドンパチやってくれるんだろうなと思いきや、またまたラスト30分くらいまで戦争が始まらないという相変わらずの構成だし、しかもその戦争が映画のテンションを微塵も上げないままヌルッと終わる。一堂に会して決闘で終わるのもなんかマヌケだ。クライマックスが一番眠くなる映画ってどういうことなのか。アンチカタルシスというより単にショボいだけになっている。

政治劇としても中途半端だ。まず、皇帝の扱いはどうにかならなかったのか。勿体ぶって本作でようやく登場したのに、王女含め物語のなかでほぼ役に立っておらず、結局は王家も領家と同様にベネ・ゲゼリットに操られてます、という話でしかない。だったらこの話に皇帝サイドを噛ます必要あるのかと思ってしまう。あと、やはりスパイスを巡る政治戦争としてちゃんと見せてくれよと思う。そもそもスパイスが何に役に立っているかを具体的に見せるシーンが前作時点でほぼなかったし、「あの工場を奪われるとまずい」みたいなルールも碌に提示されない。しまいには核で決着……なんなのか。

そもそもDUNEとは、壮大なSF絵巻のなかにゼロベースで宗教の成立や政治劇を構築していくあたりに凄みがあるのだと思うのだが、ここが何とも中途半端な印象だ。それが「壮大な」画作りと相まって、むしろやっていることとのギャップが際立ってしまい、しまいには後半ほぼ「リサーン・アル=ガイブ!」botと化すスティルガーに笑うことしかできなくなる。

結局、ヴィルヌーヴの考える「壮大さ」は、自分の考えるそれと全く違うのだなということが改めて確認できた。自分に言わせればあれは空虚さに近い。『ブレードランナー 2049』はその空虚さがキャラクターの孤独さ空虚さとマッチして感じられたが、一方『デューン』は「これぞ壮大なSFでござい」みたいな顔であの空虚さだから、じゃあSW観ます……となってしまう。もちろん、幾つかのシーンはたいへん美しかったが、個人的に本作の最大の価値は「PART3に変な期待をしなくて済むようになった」ということかもしれない。

※感想ラジオ
『デューン 砂の惑星 PART2』に全くノれないのはなぜ?その理由を徹底議論!【ネタバレ感想】 https://youtu.be/-GRtzsbSC4Y?si=1lmxybdlCzkTYI67
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