しの

猿の惑星/キングダムのしののレビュー・感想・評価

猿の惑星/キングダム(2024年製作の映画)
3.6
投げっぱなしか! という声もあるだろうが、自分はむしろこれで終わるべきだとすら思った。そして観ていて「SWのEP7ってこういう作りにすれば(まだ)よかったんじゃないの?」と思ってしまったのだった。

このシリーズは人間を猿の視点から眺めたり、猿が進化していく過程に人類史のメタファーを読ませたりと、いわば人間を外部の視点から見させて警鐘を鳴らすということをずっとやっている。今回もその繰り返しなのだが、しかし「300年後」という設定が有効に働いていたと思う。

まず、この300年の間に実際に何があったかわからないという作りを徹底している。回想も一切使われない。つまり、人間と猿がどのような歴史を辿ったのかをほとんどが知らないという世界観に観客も投げ出され、どのような史観を持つかによって世界の見え方が全く変わってしまう。序盤はノアをはじめとした新世代の猿(もはや猿の中でも独自の文化を築いている部族)の目線を徹底しているので、シーザー三部作がもはや伝説化していて「教え」も形骸化してしまっているという世界観が馴染みやすい。メイが喋ったときにこちらも同じように驚けるのが面白い。

しかし後半にかけての「揺らぎ」の体験はさらに興味深い。まず、だんだんとメイの見え方が変わってくる。こいつ信用できないし、怖いし、何なら脅威になりうるぞと。しかしこれは完全に猿目線なわけで、メイ目線だと恐らく全く別のストーリーが展開されているのだろう、ということも察せるのだ。終盤、武器庫に潜入するあたりは、それまでほとんどノア目線だった映画の視点が次第にニュートラルになっていくスリルがあり、ここは一見地味ながらなかなかの演出だったと思う。確かにメイは不穏に見えるのだが、「言ってもノア達って猿なんだよな」と再認識してしまう瞬間もあるというこのグラつき感。

この映画は、ノア目線では「掟」という因習から解放されて自らが主体的に世界の居場所を構築していくと決断するに至るイニシエーションの物語だが、メイ目線では猿の支配という「掟」に抗おうとする人類の存亡をかけた物語なのだ。つまり、既存の世界認識を変えることの希望と破滅の予感が表裏一体になっている。

従って、最後の最後まで「人間と猿の共存可能性」みたいな安易な希望を打ち出さないのがリアルだし、話法としても地味に攻めていると思った。顕著なのがラスボスの倒し方で、あそこでフィーチャーされるのはメイとの絆ではなく、あくまで「イーグル族」の文化でありノアの成長譚なのだ。これは共存可能性というお題目の着地を期待していると拍子抜けかもしれないが、自分はむしろキャラクターに寄り添った展開だと思った。300年も空白期間があったなかで、ノアとメイなんてつい最近たまたま喋っただけの関係なのだから。あくまでそれぞれの物語を進むしかない。

オチに関しても「投げっぱなしかよ!」となる人は一定数いると思うが、自分はむしろ綺麗だなと思った。同じ空を眺めるのだが、見ている先は全く違うという断絶。でも、本当にそれだけなのか……という含み。終盤で(それ自体は単なる協力関係の中で)発生した「崖登り」が、しかし一瞬だけ、イニシエーションというノアの物語からも、人類存亡をかけたミッションというメイの物語からも解放されたように見える瞬間があって、このサラッとした描写が僅かに反響する作りになっている。それで十分だろう。

正直、人間と猿がどうなるか自体はどうでもいい。そもそもこのシリーズとしては「猿勝利/人間勝利/共存」のどのパターンになるかではなく、その過程で人間が自身の驕りを客体化して眺めることができれば良いのであって、言ってしまえばそれを延々と繰り返しているだけなので、むしろ不確定のまま終わらせるのが一番シリーズのオチに相応しい気がするのだ。現実でも一生解決しない問題だし、むしろこれくらいのニュアンスに留めた方が希望的だろう。逆に、この後マジで「この300年で実際に何があって今後どうなっていくか」みたいな話をしだすとそれこそ『ターミネーター4』みたいになりそうだ。実はそこ重要じゃないんで、みたいな。

というわけで、自分はむしろこのまま終わってほしいと思うし、続編計画には懐疑的だ。そもそもこの作品も大枠で見れば焼き直しだし、世界観描写やアクション含めめちゃくちゃ新味のある体験はなかった。一番のお土産は、ゼルダ実写化のイメージが何となく掴めたことかもしれない。

※感想ラジオ
『猿の惑星 キングダム』は蛇足ではない!300年後だから描けた人間の怖さとは【ネタバレ感想】 https://youtu.be/AUHMpSF0TH8?si=EYN_z6BYQF4G3mb3
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