しの

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章のしののレビュー・感想・評価

2.9
めちゃくちゃ後章が気になる。気になるけども、この「気になる」作り自体はべつにそこまで有り難がるものでもないと思うし、むしろそれをやったことで作品が何を語ろうとしているのかがよく分からなくなっているので、何を見せれられた? とは思ってしまった

自分は原作未読だし、前章時点の所感なので何とも言えないのだが、少なくともこの作品は「セカイ化した世界」について描いているものだとは感じた。世界がクソやばくなるカタストロフはマジで起こるが、それに対するリアクションは情報過多なネット社会でインスタントに消費される。つまり、視野狭窄な思春期の少年少女の特権ではなく、いまや誰もがある程度セカイ系的な認識に立たざるを得ない。「世界の命運」はスマホ上で展開され、日常と世界はリアルに直結してしまった。それは同時にある意味、セカイ系の終焉でもある。そんな時代にどう生きるか? という問いはあるだろう。

従って、この前章では神秘性の失われたセカイ系認識が中心に描かれている。それは一言で言えば「世界なんてこんなもん」という諦観だ。それがネットカルチャーを通じて風刺的に表現されるのがこの作品独自の味だと思った。前章では、そういう“分かった気になったような諦観”が作品を支配している。こういう諦観(というか冷笑)の空気はまさに今も現実を覆っているもので、たとえばすぐ他人を無能呼ばわりする精神性などはその発露だと思う。だからこそ、後章ではそういう「ダラダラと続いてしまう日常」に対して、諦観や冷笑ではないスタンスを取り得るかが描かれるのかなと思う。

ただ、個人的にはそういう「後章への期待」をどう抱いていいのかがイマイチよく分からない前章だったなと思う。一番気になるのはやはり後半で描かれる回想パートで、あれは確かにクリフハンガーとしてはインパクトがあるものの、物語としては単に遊離してしまっていて、意味を感じない。たとえば、あの過去を思い出したことでキャラクターに何かしらの心情変化が生まれ、それが後章に繋がっていく……とかならまだ分かる。しかしこれでは本当にただ登場人物も観客も「気になる映像を見せられただけ」なので、まぁそりゃ気になるよね、というだけの話でしかない気がするのだ。

そもそもこの回想パート自体、ドラマとしての位置づけがよく分からない。現在軸では「何も知らないのに分かった気になってしまえる世界」について描いているのに、実は元々めちゃくちゃこの事態の当事者でしたということになると、話が変わってこないか? と思う。この時点で戸惑う。終わりなき日常の諦観にどう抗うかという話と、過去に門出がおんたんにとっての「絶対」であろうとして上手くいかなかったから今はその反転をやっているという話が、今のところ接続していないように見えるので、何がしたいんだと思うだけで終わってしまったというのが正直なところ。

また、女子高生グループをはじめ、ほぼネットのオタクみたいなキャラクターしか出てこないのは敢えてなのか何なのかよく分からない。たとえば過去の門出、その反転としての現在のおんたんの厨二的スタンスは、のちに批評的な目線が与えられるものとして意図的に提示しているのだろうと分かるが、流石にあの先生のキャラは何? とか。諦観や冷笑が支配している世界を表現しているのかもしれないが、「分かった気になって諦めちゃってる大人」の表現として渡良瀬と門出のああいう描写を入れているのだとしたらどうなんだと思うし、ましてやその役を教師に担わせるって、作品自体が冷笑的な認知に歪んでいないかと思う。

かといって、アニメーション作品として印象に残る場面があるかというと、意外とそこまででもなかったのが残念なところ。もっと非日常の日常化を画として描いてくれるかと思ったら、たとえばファミレスのシーンとか本当にただファミレスのシーンでしかない。下校時、背景に母艦がみえて……みたいな画が意外とないのだ。たまにそういう画があっても、「ああこれ漫画の大ゴマや見開きだと印象的だったんだろうな」みたいな想像が先に来てしまう。非日常の日常化の描写としてはむしろ正解に近づいたのかもしれないが、とはいえあまりに動きがないし、「知ってるよっ!!」のくだりすら平坦になっているのは問題な気がする。

やはり自分は、上空に宇宙船が滞在している日常生活とはどんなものかというシミュレーションとしての光景を提示してほしかった。非日常の日常化というよりただの日常では? と思う場面が多い。しかも後半はあの回想に持っていかれてしまうから、今度はただの非日常では? という印象になってしまう。前章時点でちゃんと話の抑揚をつけようとしてあの回想を前に持ってきたということらしいが、それによって「思い返せばあの“非日常化した日常”にも豊かさはあったな」という体感が今後生まれにくくなってしまう気がする。観終わったあと印象に残ってるのはあの回想くらいだから。

観ている間は予想外のツイストでなんだか惹きつけられてしまうし、これを観たら当然後章を観ないと気が済まなくなるので、その意味では成功なのだろうが、しかしそれが作品にとって良いことなのかは別の話だと思う。正直、「なんだか良くある話だったな」で終わっているので、後章でそれが覆されるのか、着目したい。

※感想ラジオ
あんな終わりかたアリ?初見勢が語る『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章』【ネタバレ感想】 https://youtu.be/5fO4P65Q71w?si=L2lpTP7JMJJ6JMNR
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