わかうみたろう

サタデー・フィクションのわかうみたろうのネタバレレビュー・内容・結末

サタデー・フィクション(2019年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

 スパイ、女優と、演技に演技を重ねて生きてく中でヤマザクラの暗号を嘘ついて育ての親に伝えるシーンが格別感動的である。それまで嘘の世界で生きてきたスパイが自分の中にある感情と向き合ってついた「本当」の嘘を、自分のスパイとして忠誠を誓っていた育ての父親につく。それでもオダギリジョー演じる日本人の高官を殺すのは、死んだらもしかしたら一緒になれるかもしれないという気持ちがあったからだろうか。敵に対して感情移入はしつつも冷徹に殺せるスパイがラストに劇団員の男との約束の場所に行くときの、車の中での無表情のためらいは彼女の人生の中で始めて訪れた時間かもしれない。上手く世の中を生きるだけでは求めるものは得られず、後先考えず自分の人生を生きたい時の躊躇いだろうか。スパイといういつ死ぬかわからない人生の中で、彼女はありえないほど強い。が、強いがゆえにスパイとして死ぬことは現実的ではなく、死の危機を乗り越えることも含めて日常になっていた彼女が、刹那的になれた瞬間が結局彼女に死を与えた。死という結末を持ってバッドエンディングだと思わせないように、ラスト酒場で楽しげに踊る役者たちは愛しあう二人を天国へ連れて行くと天使のように見えた。
 劇中劇の舞台と実際の酒場を同じセットで撮っているのはモノクロという手段をとったからできた技だろう。色のある世界では、映画の外の現実世界と繋がりを感じるが、モノクロならではの陰影のカラフルさが現実とは隔絶した世界として存在する。第二次世界大戦前、上海という現実にあったけどだれの土地かも定かでない謎の土地という設定も映画内に夢のようなモヤをかけている。
 コン・リーがオダギリから暗号の意味を聞き出すシーンのよりの画も、光のあふれる画面でフィルターをかけ、音の出し入れで暗いマジックミラーの向こう側にいる他のスパイ達側に観客を追い出している。これもモノクロだからこそできるシンプルで強い表現だったと思う。また、それだけでなく、映画という、そもそもが誰かの人生を覗いているような鑑賞をせざるを得ない芸術形態の特徴を生かした表現で、そこに監督が大きな賭けに出ている。そこから始まる派手で早い展開の銃撃戦に、ただスペクタクルを楽しむものでなく人間模様を常に考えさせる要素を含めるのに成功している。コン・リーがオダギリを打てるのか、コン・リーは愛について何を感じているのかを想像させるショットであった。また、物語の歴史背景が複雑な割に、人物たちの関係性があやふやである。コン・リーがどれだけ劇団員のことを愛していたのかも明確に言葉や、二人の描写で示されていない。にも関わらず彼女が心の底から劇団員の男を愛しているという説得力を、映画的技法で生み出している。実験的方法を実験に見えない精度で表現するロウ・イエ作品には毎度感嘆する。