主演の大場みなみが素晴らしい声の持ち主であることは舞台で演じる彼女の芝居を見たことがある者なら言うに及ばないが、この映画の即興的なやり取りは彼女の澄んだ声へと到達することを阻んでいる。
固定画面の連鎖で語ろうとするフレーミングは悪くないが、芝居もそのくらいのビジョンを持って捉えられなければならない。
画面には退屈な時間が露呈し、せっかくのフレーミングは剰余に満ちた、作家性と言えば聞こえの良い芸術チックなものへ変わる。
この監督は役者を構図の中に従属させるだけに陥ってしまい、彼らの顔を認識できないほどにカメラは遠くから彼らを捉えるだけだ。そしてその態度こそが大場みなみを持て余している最大の要因だと思っている。
寂れた熱海の地で観光客はただ時間を過ごす存在のままで良かったのか。
この映画を見ても熱海という観光地を外側から批評するような画面は辛うじて冒頭のバスと、ロープウェイでのシーンくらいにしか見出せず、終始倦怠感のあるムードの映画に陥ってしまっていることも残念だった。