Keigo

バーニング 劇場版のKeigoのレビュー・感想・評価

バーニング 劇場版(2018年製作の映画)
4.9
ちょっと待ってくれ……
こんなことって…

『オアシス』、『ペパーミント・キャンディー』と来てイ・チャンドン三作品目『バーニング 劇場版』。

これも最高なのかよ。
どうなってんだ。
いよいよほんとに全部まとめて5.0でもいいような気がしているのと同時に、それだと逆に嘘っぽくなりそうだからこのままでいいような気もしている。イ・チャンドン作品を全て観終えたら、敬意を表してどれか一作を5.0にしよう。そうしよう。

三作品観て平均スコア4.9。
感性も趣向も思想も倫理も、とにかくこの監督の作品が全面的に驚くほど自分にピッタリきている感覚がある。自分が生涯愛でたいと思うような映画に求められる、ほぼ全ての要素を兼ね備えていると言っても過言ではないと思う。それが三作続いているなんて…信じられない。

好きな監督は何人もいるし、好きな作品もいくつもあるけれど、こんな感覚になったのは初めてだ。まさかイ・チャンドンは俺に最適化された映画を創るAIなのか…?そんなくだらないことを書いてしまうぐらい、超お誂え向きだ。


村上春樹のもフォークナーのも原作は未読、ただ村上春樹の小説はいくつか読んでいるのでその世界観や雰囲気が反映されているのは分かる。でも原作との比較とか、どの程度改変されたかとか、映像化に成功しているかとか、正直そんなことどうだっていいと思ってしまうぐらいの作品だった。完全に“映画”として独立していたと思うし、極めて映画的な作品に仕上がっていたと思う。

結末や真実を確定させることが不可能なように巧妙に練られている作品だと思うから、それを確定させようとしても仕方がない。それぞれが、それぞれに、それぞれの解釈をすればそれでいい。それをはっきりさせることに、この作品の力点があるとは監督は思っていないはずだ。

もちろん自分にも、こうだったのでは?と思うところも、どういうこと?と思うところもある。答えが出ずともそれを考えることこそがこの作品の醍醐味だと思うし、絶対的に真である答えが出ないことが分かっているのは、この作品も人生も同じだ。

自分が考えたことの一部をここに書き残すとしたら、ビニールハウスが燃え盛るイメージから、自分は三島由紀夫の『金閣寺』を連想した。それもあってか、ジョンスはそれに恐れ慄くと同時にどこかで心惹かれていたのではないかと思った。だからこそビニールハウスに火を付けかけたし、夢で燃え盛るビニールハウスを見た少年は恍惚の表情を浮かべていたのではないか。

映画の冒頭でジョンスは、踊っているヘミに出会うまで、仕事中なのか何やらたくさんの洋服を担いで歩いていた。そしてラストシーンのジョンスは下着の1枚も身に付けていない。彼を覆い隠していたものは、全て剥がされ燃やされたのだ。それが意味することは何だろうか。


…とかなんとか考えられることはいくらでもあるような作品だけど、それがなくともただただ惚れ惚れするような美しいカットがいくつもあった。特に夕焼けを背景にヘミが踊るシーンは白眉で、これを観れただけでもう十分と思えるような、何かものすごいものが映っているという純粋な感動があった。

イ・チャンドン監督の残る三作品を観るのも、監督のドキュメンタリーを観るのも、とにかく楽しみで仕方ない。


【2024.1.3追記】
イ・チャンドンの全ての作品を観終えたので、本当に甲乙つけ難いけど最初に観たイ・チャンドン作品の『オアシス』のスコアを4.9→5.0に変更することにした。
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