小麦番長

ジュディ 虹の彼方にの小麦番長のネタバレレビュー・内容・結末

ジュディ 虹の彼方に(2019年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

【平凡になることを許されなかった、愛を渇望した天才】

アーティストの栄光の影にある孤独と不幸を描いた作品を観るたび、『天賦の才とは平凡な幸せと引き換えに神様に与えられるもの。=だから不幸は必至』と、なんて言うのかあまり『可哀想』とは感じずにいたのだけど、この作品は違った。

ジュディの、芸能一家に生まれ2歳から舞台に立つ環境というのは、彼女自身が選択した訳ではなく。
『普通の生活がしたい』と訴える度、まわりの大人達に説得と言う名の洗脳を施され。

薬物も10代のころから常習させられ、薬物依存になってしまったのは彼女自身が原因だろうか?


『子供たちとの平凡の幸せのため』『お金のため』と本人は言わば仕事人としてステージに立つのだけど、ステージに立つとその才能と観客を惹きつける魅力は凡人が真似できるものではなく。
才能はどんどん『平凡な幸せ』を遠のかせてゆく。
可哀想だな、と思った。

ゲイカップルが辛い経験を乗り越えられたのも、ジュディと言う心の支えがあったから。
孤独との闘い、肉体・精神の苦しみ無しには、あんな風に虐げられた人々のカリスマになれないんだ、と思うと辛かった。
(このゲイカップルの存在は作中、とても良いアクセントになっていた)

果たして彼女自身はこの『ギフト』を歓迎していたのかどうか。
彼女は生まれ変わるなら、またジュディ・ガーランドの人生を選ぶだろうか??
きっと、冒頭でL・B・メイヤーが例えに出していた『農家の嫁やレジスターでもいいから、普通の母親として平凡に生きる』
を選択するんじゃないだろうか。

孤独ゆえ、半分利用してきてるような男からでも愛されるとスグに愛の沼にハマる。
これくらい激しい感情の持ち主でないと、愛の歌を歌って観客に感動を与えることは出来ないんだろうな。


レニー・ゼルヴィガーの演技は、歌唱力はもちろん素晴らしかったけど、彼女の個性を活かした“ジュディ” を作り上げてて良かった。
本人に似てるかどうかは知らないし、どうでも良い。

最近、実在の人物ベースの映画だと兎にも角にも無理やり本人に似せる事が優先になってる作品が多くて。メイクもそうだし、仕草とか。
特殊メイクなんかしなくても、その俳優さんの個性を生かして役作りすればいいと思っていたので、今回のジュディもどこまで似せてきてたのか不明だけど、レニー・ゼルヴィガーが作った『ジュディ』としてとても良かったと思う。

切り取られたケーキの皿をくるくる回しながら感動に耽ける演技。

薬でフラフラになりながら圧巻のパフォーマンスをするシーンなんかホント凄いと思った。
『コレ、シラフで演じてるの』と笑

※ 劇中、ジュディを『ママ』と呼ぶ女性がライザ・ミネリに似てるなーーと思っていたら、ライザ・ミネリは本当に娘だったのね(^^;;

※ 結婚を繰り返してるぽく最後のミッキーは4番目くらいか?と思ったら5回目だった(^^;;
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