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幸福なラザロのkenjistanbulのネタバレレビュー・内容・結末

幸福なラザロ(2018年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

血を流すという事、そして強さと弱さ、
高度資本主義社会において、入って来る者と受け入れる者。
人間のDNAに埋め込まれた一つのシステムなのかとも感じてしまう。
「人間は獣。自由になれば過酷な現実を知ることになるだけ」
それは過酷であったのだろうか、どうだろう。

ラザロみたいな人は、絶対にいないだろうという観点からのファンタジーなのかな。そして最後の涙。あぁラザロ、最後に何故泣いた。あまりにも最高すぎる。

幸福なラザロ、映画鑑賞後に、その題名から僕が感じ取った事を自分の中で消化するには、僕はまだまだ未熟でした。
僕自身にとっては、全てがリアルに感じられて、何一つ笑えなかった。何一つ。
現代の小作農とラザロ。それは何だろう。あぁ。
こんなに難しいだろう問題を、ラザロ1人でこんなにもシンプルに訴えかける監督、そういう風に私もなりたい。

自分達には出来ないことがある。高度資本主義社会においては、それが出来ない事はあまり重要ではない。でも、ラザロはできる。できるけれど、馬鹿にされるし、冗談だろと言われる。ラザロは数時間後には主人公達に忘れられ、主人公達は高度資本主義社会に帰っていく。それでもラザロはそこにいる、姿を変えずにそこにいる。
ラザロがそこに居続ける事、高度資本主義社会において、その事が意味するところは、大変に大変に重要な気がしてなりません。

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「優しくなりたい、良い人になりたい。」
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そのセリフの枕詞は何か、常に考えていきませんか。

しかし予告編も見ずに行ったので、最高でした。
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