ぽん

恋をしましょうのぽんのネタバレレビュー・内容・結末

恋をしましょう(1960年製作の映画)
3.0

このレビューはネタバレを含みます

大富豪が女優に恋をして、彼女に近づくために貧乏役者のフリして一緒に舞台稽古をやりながら、裏では金にモノ言わせて彼女を手に入れようと画策するラブコメ。

骨格は「美女と野獣」ですよね。男は仮の姿で女と出会い、恋が成就したときに正体が明かされるハッピーエンド。それまで金の力でさんざん女遊びしてきた主人公は、呪いによって(←違います)本当の自分を出せなくなってしまった。野獣ならぬフツーの男に変えられてしまったと。でも女性の方はそんな男のことをなぜか好きになる。特にイイ人エピソードもなかったのになんでかな。で、最後に男は本当の自分を見せつける。女性を自分の会社に来るように仕向け社長室に通し、当たり前のようにデスクに座って女性秘書たちを呼びつけて外国語の口述筆記をさせて、そう、こんな風に世界を股にかけたビジネスで稼ぎまくってるのが本当の俺なのさってドヤる。
・・・前世紀の物語だなぁとは思う。

それでも途中まではかなり愉しかった。シロートなのにパフォーマンスで気を惹くなんて無理だから、ここはもう金の力を使うしかないって、高いお金払ってジョークを買ったり、芸能界のビッグネームを呼んで個人レッスンしてもらったり(BクロスビーやGケリーが本人役で出てくる!)と、無双してるのが可笑しい。

しかしながら正体を隠して潜り込んだ劇場で、セレブの自分を笑いものにする演目で自分自身を演じるのはなかなかな地獄。バカにされてニワトリの鳴き真似までさせられて。そうか世間では俺のことをこんな風に見てるのかとヘコみそうなもんだけど、案外平気そうなのはやっぱり根本のところで自信が揺らがないからなんでしょう。その自信はどこから来るのか、やっぱ金と権力だろうなと思う訳です。

コメディだからこれでいいんだろうけど、この主人公って結局なにも変わっていない。成長がない。せっかくヒロインの優しさ、自分のことだけじゃなく周りの人の幸せを願ったり、もっと広い視野で外国の窮状にも思いを馳せるといった、彼女の純粋な精神性に触れていながら、ちっとも影響を受けてない。女を落とすためだけじゃなくて、もっと有意義なことにお金使ったらいいのに。

最後の展開、主人公から逃げ出そうと社長専用エレベーターに乗り込んだマリリンは有無を言わさず引き戻される。映画の冒頭で同じ手をつかって社員が社長室に呼び戻される伏線があったが、この、下々の者は権力者の意のままに操られそこに自由意志はない、という描写がモヤるのですね。昔だったらこの強引さが男らしくて魅力的に見えたのかもだけど。今の時代、もろもろアップデートされた意識で観るとちょっと引っかかる。

でも、こんな風に色々言いたくなってしまう自分にも辟易する気持ちが少し。時代性が孕む瑕疵や落ち度で、作品自体の価値を目減りさせていいもんだろうかというジレンマはいつも感じている。

最後に。なにはともあれマリリン・モンローはキレイで可愛くてピュアで色っぽくて魅力的。意外にドスコイ腹なとこも好き。イヴ・モンタンは昔勤めてた所の上司に似ている。
ぽん

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