Kuuta

GODZILLA 星を喰う者のKuutaのネタバレレビュー・内容・結末

GODZILLA 星を喰う者(2018年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

どれだけ文句は言ってもゴジラである以上公開初日に行ってしまう。。

内容は理解出来るが単純に面白くなかった、が総評。客の心を掴むような工夫が感じられない。

人知を超えたギドラの設定と登場シーン、宇宙船襲撃の神々しい絶望感、地表に降りてゴジラに噛み付くまでの迫力は、ザ・宇宙怪獣って感じで、今シリーズ全体でもダントツで良かったと思う。ここだけはスクリーンで見る価値が間違いなくある。

台詞回しがまどろっこしすぎるため、いちいち画面が止まる。ど頭のメトフィエスの一人語りの時点で気が滅入る。あんなの時間半分で済むと思う。そもそも2部作で収まったんじゃないか。

怪獣映画としての動きの乏しさ。ギドラは噛み付く、巻き付く、浮かせるの3アクションのみ。予算不足なのか、止め絵と同じ絵の使い回しが目立つ。動かないギドラの影がスーッと迫ってくるのがギャグに見えてくる。

例えば終盤の戦いでハルオのメトフィエスに対する行動がゴジラのギドラへのアクションと連動するとか、そういう映画的演出も弱い。

監督たちはインタビューで「ゴジラ的でないものを意識して作ったから従来来なかった女性も集客できている」と言っていたが、実際は声優とシンゴジ効果であって、内容のおかげではないと思う。というか作中の女性描写がめちゃくちゃ酷い気がする。ユウコもそうだし、フツアはもはや産む機械同然のような扱い。ラストも…。

ストーリーに関して。
人類の進化の果てにゴジラがいて、ギドラがその果実を狙うが、ハルオは滅びの美学を否定し、人として生きるためにギドラに立ち向かう。ギドラがコントロール失うと急にクソザコになるのは昭和からのお約束。

ナノメタルもバルチャーも、残っていると拡大再生産を繰り返してやがて文明を生み、ギドラをおびき寄せるキーになりうる(マーティン博士が急にナノメタル肯定派になってノリノリだった理由が分からなかった)。そこでバルチャー、メタルユウコとともにゴジラを憎む唯一の人類(ハルオ)が滅びることで、憎しみの対象=怪獣としてのゴジラは消滅、ギドラ襲来の可能性も無くしてしまう。ゴジラアースは文字通り地球と一体となり、一種の気象災害として人類と共存する。

人間の連携、ビルサルドの科学、エクシフの信仰。ゴジラの倒し方3種類を3本の映画で見せたということだろう。最終的に「自分も怪獣にならなければ怪獣は倒せない」という作中で繰り返されてきたテーゼを乗り越え、ゴジラを「倒す」ことに成功しているのは事実だ。

だが、結局これってハルオたちの中でのゴジラ解釈が変わっただけの話ではないか。一作目と地球の状況がほぼ変わってないというのが虚しい。

エンドクレジットのお怒り様シーンでは、恐怖心の浄化の象徴としてハルオのバルチャーが火とともに信仰されている。あの信仰を続ける限りゴジラは怪獣にはならない。とはいえあの状況では、原始的な生活から抜け出すのは不可能だし、人類はずっとモスラの庇護の下で暮らしていくんだろう。

そもそもゴジラは人間の罪や科学の暴走の象徴であって、だからこそ何度でも蘇るし、核を打たれても死なない。これは初代からの基本テーマだと思うが、だからといって「文明社会を捨てろ」とまではどの作品も言ってこなかった。初代で芹沢博士が世俗社会の象徴である尾形カップルに未来を託しながら死んでいったように、業を背負いながら前を向いて生きていくことこそが、ゴジラという作品のメッセージなんだと思っている。

そういう私の理解からすると、結局人類は業を知らないピュアな存在として守られ、地下でこっそり原始生活するしかないという今作のラストは如何にも受け入れ難いが、こういう物なんだと思うしかない。

色々モヤモヤした末に普通のゴジラが見てえなあという気持ちになり、帰り道TSUTAYAで平成シリーズをレンタルして帰った、というオチでした。基本不満なものの、ギドラの迫力に免じて58点。
Kuuta

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