〜作品紹介〜
本作は、ルイス・オルテガ監督による
アルゼンチン・スペインの伝記犯罪映画。
第71回カンヌ国際映画祭で上映された。
アルゼンチンの連続殺人犯のカルロス・ロブレド・プッチの実話を基にしている。
アルゼンチン犯罪史上最も有名な、実在の凶悪犯罪者。
20歳で終身刑を言い渡され、その悲惨な犯罪歴と美貌から、「ブラック・エンジェル」「死の天使」と称された。
泥棒から始まり、殺人にも手を出し、ついには友達も殺してしまった。
当時、犯罪学の父ロンブローゾが唱えていた学説
「生まれつきの犯罪者は肌が浅黒く、耳が大きくて醜い(ニグロ)。」
という言葉を信じていたアルゼンチンの国民は、白人の美少年がサイコパス犯罪者であったことに驚いた。
「神から、必要なものは与えられると言われた両親。それで神の使者スパイとして自分はこの世に降り立った。」と主人公カルリートス(ロレンソ・フェロ)は言う。
泥棒を繰り返す息子に父は、
「自分のものがあるだろう。それ以外は焦らずに待て。努力すれば手に入る。」と言う。
泥棒について人から聞かれると「盗んだものは友達にあげる。仲良くなれるから。」と言うカルリートス。
カルリートスは「みんなどうかしている、もっと自由に生きられるのに」と言う。
泥棒のミゲルは
「世界は泥棒と芸術家のものだ。凡人は必死になって働く」と言う。
カルリートスが逮捕された時の報道
「狂気と愛、そして死。
ブロンドの天使が11件の殺人と42件の強盗。
黒い天使と共犯者、その性的指向。
女の顔をしたジャッカルが供述。
生まれつきの殺人者。
珍しい症例であり、ロンブローゾの学説を覆す。
生まれつきの犯罪者は肌が浅黒く、耳が大きくて醜いと主張した(ニグロ)。
同性愛者と推定されるが犯罪への影響は不明。
怪物を伸ばしにした両親への社会的批判が高まり収監の可能性も出ている。」
〜感想〜
17歳で始まり、20歳で終身刑を言い渡されるまでの話。
破茶滅茶すぎて、理解できない話。
両親に愛されて育った子なのに、泥棒と殺人を繰り返してしまう。
泥棒の目的は、盗んだものを売りお金にすることではなく、自分でちょっとの間使ったり、友達や女の子にあげて喜んでもらってそれをきっかけに仲良くなるため。
という言葉や、最後捕まった後に、ニュースで「女の顔」とか「ブロンドの天使」とコメントされていることから、本当の友達がいない寂しさから泥棒を始めたのかなぁ、、と思った。
そんな時に出会った、ラモンは自分の泥棒としての実力を認めてくれ、ラモン家族に迎え入れてくれた。それがカルリートスにとってはめちゃめちゃ嬉しいことだったはず。
それなのに、ラモンが俳優・歌手を目指したり、実力家のゲイに媚を売ったり、新しい泥棒仲間を見つけてきて、カルリートスを雑用係にしたりされたことに憤りを感じ、「永遠に僕のもの」にするためにラモンを殺した。
カルリートスは自由に生きたいと思っていたが、同時に誰かに認められたり、何かの集団に属することを望んでいたから、ラモン一家に受け入れられたことが嬉しかったのだろう。
また、カルリートスは性的にもラモンが好きだった。
殺してしまうほどの愛、執着というのはよく映画で描かれる模様。
特に、主要な登場人物が他の主要な登場人物を殺すのは、歪んだ愛の象徴とされている。
家族に対する態度は温かかったり、人間味も描かれていて、犯罪を犯すときはいつも冷静で頭はいいようにも思う。
それは、この映画監督が主人公は精神障害、サイコパスではないと主張しているからこその視点なのだろう。
刑務所から逃げた後電車の中で流した涙の意味を考えると、自分の人生を悔いている?孤独な悲しさを感じてる?と考察したが、監督が、上記と同じくカルリートスをサイコパスにしたくなかったから人間味を出したのだろう。
・脱獄後、すぐにラモンの家へ向かった。
・ラモンの死後、ラモンとかつて強盗した宝石店へミゲルと向かった
・ミゲルを殺したあと、ラモンとミゲルを重ねるためミゲルの顔を焼いた
→いずれも、ラモンへの執着の現れ
人生の目的を見つけられず、泥棒することを人生の目的にしてしまった悲しい青年の話。
一度悪を働くとそれが普通になってますますエスカレートする。
スペイン映画初めて観た。
疑問
・本当の名前はロブレド・プッチなのに、両親含めカルリートストと呼んでいるのは何故?
(カルロス、カルリートスは自由人を意味する。嫌味?)
フェロのインタビュー
https://eiga.com/movie/91023/interview/