さすらいの用心棒

アルキメデスの大戦のさすらいの用心棒のレビュー・感想・評価

アルキメデスの大戦(2019年製作の映画)
4.0
財閥との癒着と、不正な統計で計画されている戦艦「大和」の建造を阻止するべく、数学で立ち向かった男がいた─────


『永遠の0』で零戦と特攻を描き、「美化している」「神話の捏造」「右傾エンタメ」といった批判を受けとめたのか、または反省しているのかは知らないけど、「日本帝国の誇り」とされた戦艦大和を一切美化することなく「不正の象徴」として沈めるマンガを映画にした山崎貴監督。同時期に公開された『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』は散々だったけど、『アルキメデスの大戦』は同じ監督とは思えないほど映画として十分満足できる作品だった。

まず、巨大戦艦大和が海の藻屑となるオープニングのインパクト。生還者によるインタビューの話に比べるとはるかに壮絶さに乏しいものの、ハイライトにあたるこのシーンを冒頭に持ってくることによって本作がどういう作品なのかを提示した印象的なシーンで、その迫力に一気に引き込まれる。十八番のVFXが活躍する数少ない場面でもある。

ただ、そのあとすぐに監督特有の大味な演技と、妙に間延びした編集、歌舞伎的な見栄の切り方、説明的なセリフのオンパレードで、この人のクセはやっぱり合わんと感じることになった。主人公・櫂(菅田将暉)が登場するまでは。

彼が登場した途端に画面の空気感ががらりと変わった。どこか不貞腐れた言動と、若さゆえの潔癖という、主人公の魅力を原作以上に発揮していて、菅田さんの凄さを改めて実感してしまう。本当にキャーキャー言われているだけでは勿体ない人だと思う(変な言い方だけど)。

櫂が中心に据わったところから、勢いに任せ過ぎた展開がリアリティに着地しはじめ、目に付いたいろいろなことが次第に気にならなくなってくる。ひたすら巻き尺でものを測って、数字をかき集め、机にかじりつくなど地味な画ばかりが続くのに、主人公と同化したような不思議な高揚感があって思わず見入ってしまう。

そして会議からの怒涛のラスト。タイムリミットの緊迫感と、ディスカッションの展開の鮮やか、二転三転する展開、知っている内容なのに映像で見るとなぜか興奮してしまう。逆説的でアイロニックな結末も、捻りが利いているうえに左右どちらの人が見ても受け入れやすい脚色の技術力は、小憎らしいと思いつつも感心する。エンタメとしてよくできた作品だと思う。


(以下ネタバレ)


ただ、素直に楽しんでいいのか、未だに判断がついていない。

櫂の「戦争を阻止する」思いというのは、大和のような「豪壮」で「巨大」な戦艦が建造され「日本帝国の誇り」のように崇められれば、これに自信をつけた軍部がさらに暴走し、戦争に対する国民の士気を高めるため、これを阻止しなければならない、という大義が込められている。しかし、彼がそれを決意した時点で、すでに世論は大和ひとつで戦争を阻止できる段階ではなくなっていた。

櫂の敵である平山中将はそれをも見越して、あえて美しく壮麗な戦艦をつくり「日本帝国の誇り」として祭り上げ、それを沈めさせることで国を戦意喪失させ、終戦に持ち込む算段だった。

だが、実際に大和が撃沈したのは昭和二十年四月、開戦からおよそ四年も経っている。その時点でミッドウェイ海戦があり、櫂が恐れていた東京大空襲があり、沖縄戦がはじまっていた。その四か月後に広島と長崎に原爆が投下され、ポツダム宣言が受諾される。

大和が沈んだ時点ですでに多くの人が死に過ぎていた。

この映画は、山本五十六が乗艦した大和を櫂が見送るシークエンスで幕を閉じる。沈むことを運命づけられた大和のことを「まるで日本のようだ」といって櫂は涙を流し、「ええ、美しい船です」と誰かが相槌を打つ。日差しに照らされて神々しく光を帯びた大和が向かう先は、恐らく真珠湾だろう。

大和の美しさは偶像崇拝の装飾であり、乗艦する3000人の死の上に成り立ち、その後に死にゆく300万人のうえに成り立っている。それでもなお美しいと感じてしまう自分の存在が、彼に国の滅亡を予感させた。彼が流した涙は、敗戦の時に流す涙だ。

この映画を素直に楽しめる時代にいたいものです。