囚人13号

太陽は光り輝くの囚人13号のネタバレレビュー・内容・結末

太陽は光り輝く(1953年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

冒頭から法廷がいきなり楽団へ変貌する神憑り的な飛躍、それにつられてやってくる退役軍人らの描写から群れることの主題が示され、集会・パーティー・リンチといった結集の堆積がその極点である葬列へ変容していく。
怠慢な聖職者たちに誂われながらも縦隊で行進していく判事と戦友ら、ウィル・ロジャースの頃より傍にいるステピン・フェチットはとうとう法廷内に席が約束され、彼が奏でるハーモニカほか幾度となく演奏されてきた「ディキシー」が涙腺を刺激するも、これら要素はクライマックスにおいて全てが二乗で回収される。

嘲笑されながら縦隊行進する判事らに一人また一人と加わっていく世界一美しい運動、散々響いていた音楽はおろか言葉すら消え失せ、そこにはただ馬車と人々の足音が響くのみ。
更にある女性の登場によって行進は止まるが、寸断されたのでは決してなく無言の配慮から皆が制止し、彼女も加わった長い灰色の線は再び教会へ向かい静かに動き出す、この動⇔止の完璧な推移によって生じる激しい動揺が本当に一人の死を目の当たりにしているような衝撃を画面に浸透させ、我々もまた知らぬうちに黙ってこの隊列に加わることとなる。

唯一ステピン・フェチットだけは列外からこの暴挙で判事は選挙で負けてしまうと憂いているものの、だがここに描かれた物語は栄光の敗北だとか気高い撤退などでも全くない、ただ信頼を犠牲に仁義を通し人生に勝利した男の光景であって、それを目にした町民たちの主題は無論『捜索者』ジョン・ウェインと同じ、赦すこと/受容することだ。

ラストで扉外へ消えていくジョン・ウェインと心の燃料を補給しに扉内に消えるチャールズ・ウィニンガーは一見対照のようで実は両者とも家庭と無縁な男という点で同じ境遇にあり、即ち本作のラストで家庭のあるべき姿はパレードを眺める屋外であって、そのため彼は孤立すべく一人扉へ向かうのだ。
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