Ren

7月22日のRenのレビュー・感想・評価

7月22日(2018年製作の映画)
4.0
圧巻。Netflixオリジナル映画の中でも上位に君臨する出来だと思った。ドキュメンタリーのようでドキュメンタリーではない、実録ものとしてとにかくウェルメイドであり、かつ飽きさせない重厚感(長い、中弛みだとの意見も散見したけど自分は最後まで釘付けだった)。素晴らしかった。

ノルウェーで起こった連続テロ事件を群像劇として描いた骨太な作品。冒頭の、胸糞テロリスト・ブレイビク(アンデルシュ・ダニエルセン・リー)が黙々と爆薬を調合しテロへの準備を進める場面とウトヤ島のサマーキャンプでの牧歌的な風景のカットバックから意地が悪い。緩と急のお手本のような編集で不穏な雰囲気を作り、かつ凄惨な場面は容赦無く見せる画づくりの締め方がパーフェクト。
防犯カメラが捉える白いバンに男が近づくと....。警官に変装したブレイビクに警察手帳の提示を求めると....。全部ベタではあるのだけど、心がちゃんとザワつく。警察官も停まっている車も怖くなる。

観客の胸を抉る事件パートは序盤の30〜40分で終わらせ、残りの100分強を事件後の各人の「事件との向き合い方」にフォーカスを当てていたのが今作最大の特徴。
犯人と彼の弁護士、被害者とその家族、事件対応に回る政府首脳陣、一つの事件をあらゆる角度から照射していく。
さながら『ウトヤ島、7月22日』が問題編、今作『7月22日』が解答編のよう。今作に対して『ウトヤ島 ~』は、『カメラを止めるな!』で言うところの劇中劇パートのようだと捉えた。相互補完的関係にある二作が、全く違う製作陣の手で同年に公開されたことが奇跡。

ブレイビクは、その間身柄を拘束されながらも人権保護の下でピザを食べながら取り調べに対応する。弁護人を指名して「俺を弁護できるのは名誉だ」と宣う。
常に苦しみを強いられるのは、理不尽に巻き込まれた被害者たち。サバイバーのビリヤル(ジョナス・ストランド・グラヴリ)は脳に銃弾の破片が残り、いつ倒れてもおかしくない状態。常に危険の潜む世間そのもののようだと不謹慎ながら重ねてしまった。
事件後に彼が室内から屋外へ踏み出すシーンは基本的にどんよりと暗くなっている。序盤の明るいサマーキャンプとの対比として、テロが存在してしまったこの世界そのものの「暗さ」を表しているよう。

実質的な主人公であるビリヤルは、それでも「生」を選択する。ヘイトを溜めまくった最低のテロリストを、「裁判」で「言葉」で射抜く。あのシーンは、ウトヤ島で銃口を突き付けて5発の弾丸でビリヤルの身体を射抜いたブレイビクと呼応している。
テロという武力行使(武力でしか国は変えられないと極右のこいつは主張した)に対して「断固としてテロには屈しない強い意志」を法的に言論で示す。それぞれのシーンでお互いが相手と目を合わせているのも呼応のポイント。

ブレイビクはかなり現代の犯罪者的だと感じた。彼が思っていたような左派vs右派の対立は劇中では少なくとも描かれず、彼の暴走ぶりが窺える。ウトヤ島のサマーキャンプ参加者も、標的に合うような左派ではないので。
扇動され洗脳され、ただ思想だけが膨らんでいってしまった典型的ネット右翼。孤立無縁であろうとも、また繰り返してやると鼻息を荒くする辺りも現代を象徴しているようだった。ラスト、某人が彼の握手を拒否したことが希望に見えた。
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