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冬時間のパリのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

冬時間のパリ(2018年製作の映画)
3.8
【アサイヤス流白熱教室】
TIFFJP参戦初日!

今日は映画仲間と渋谷でファスビンダーを観た後にアサイヤスの『ノン・フィクション(Double Vies)』を観た。

アサイヤスといえば、『アクトレス』『パーソナル・ショッパー』と近年、取り憑かれたように《スマホ》の演出に拘っている。現代人の会話はスマホで起きていると言わんばかりに。

そして、今回の『ノン・フィクション』は出版社の編集者が、デジタル書籍化にビジネスの舵を切るかどうかで悩む話だと聞いて、アサイヤスの集大成を期待した。

そして、良い意味で裏切られた。てっきり、またもや《スマホ》を使ったアクション技法を磨くのかと思いきや、寧ろ《スマホ》や電子機器は話の中でしか登場しないのだ。また、アサイヤスとしては珍しく、ヴィジュアルに頼るのをやめた。まるでフランス文化と語学を学ぶ学生向け映像教材のようなやる気のない画の中で、だらだらと不毛で平行線な議論が繰り返されるのだ。フランス独特の食事しながら議論や思考実験をひたすらに繰り返す文化に慣れていないとキツイところがあるが、慣れてくるとこれが面白い。まるでマイケル・サンデルの白熱教室を観ているかのようだ。

例えば、「電子化すれば出版コストが下がる」という主張に対して、「寧ろ電子化により、本が大事にされ、ハードカバーが売れるようになった」という切り返しをする。

「これは貴方の人生が反映されているから、小説ではないよね?」という主張に対し、「小説の定義は何か?」という議論に発展。やがては、「小説で妻に対して書くことは、妻に失礼なのでは?」「妻が貴方について書こうとしてもそれは二番煎じになる。先手必勝なやり方はどうなのか?」と表現の自由に関する考察がされていく。

他にも、ネットの文章は書き言葉か?ブロガーの文章はSEO対策された文なので、本とは違うなどといった様々なトピックが100分延々と展開されていく。まるで大学生に戻ったかのようにアサイヤスの講義にのめり込んでしまった。

ただ、この作品良い意味でも悪い意味でもサブストーリーがあり、それが物語を動かす原動力となっている。

それは、編集者アランと執筆者レオノール双方の妻との間に巻き起こる不倫劇だ。まるでホン・サンス映画のように、ひたすら情けない男が話術で事を上手く運ぼうとして見透かされる不器用さが爆笑のユーモアを引き出している。

これにより、本来の仮想(電子書籍)と現実(実物の本)の間にある価値に対する考察という大テーマがぶれてしまい玉に瑕となってしまった。

会場のウケが悪く(外国人しか笑ってなかった)日本公開できるか不安ですが、ブンブンは好きでした。

‪ブログ記事:【ネタバレ考察】『ノン・フィクション』アサイヤスは問う《情報と価値》との関係性について↓‬
‪https://france-chebunbun.com/2018/10/29/post-17433/‬
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