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未知との遭遇 ファイナル・カット版のTenKasSのレビュー・感想・評価

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そもそも何年振りに見たかわからないので、当時見たのが同じバージョンだったのかも定かではないのだが…。

コミュニケーションとディスコミュニケーションの映画。音の映画。
はじめから、砂嵐の音で言葉がかき消され、その上言語の壁があるためにまるで会話がうまくいかないという場面から、ディスコミュニケーションを音を使って表現していく。
ロイの家の場面を始めとして、本来メインで聞かせたいであろうセリフや会話が、環境音や子供の騒ぐ音、テレビの音といったノイズにかき消される。
(会話している後ろで人形を叩きつけるノイズ
会話している後ろでわざわざピアノを叩く子供のノイズ
電話をしている横で発せられるテレビのニュースの音など)
遭遇以後、ロイは頭の中にビジョンを見るようになり、(遭遇する時もとてつもない低音ノイズ)それが原因で家庭が崩壊する(ディスコミュニケーションの臨界とともに、いかにもスピルバーグ的な父親の不在)
それと対比的に描かれるのが、トリュフォーたちのパート。トリュフォーたちは沢山の国を渡り歩くが、言語的な壁などを切り崩して未知との対話へと近づいていく。

そしてディスコミュニケーションからコミュニケーションに至る過程が、カオスな音像から、五音だけの音楽での問いかけと応答の達成へと収斂していく。
そのシンプルな構造に感動。

五音で文字通り分かりあってしまうのは少しお気楽だけど、それが映画だよね。
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