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峠 最後のサムライのnetfilmsのレビュー・感想・評価

峠 最後のサムライ(2020年製作の映画)
3.7
 幕末ものというのはあらゆる角度において物語の宝庫で金脈揃いだが、失礼ながらこの長岡藩家老・河井継之助という人物は存じ上げなかった(原作も未読)。大政奉還が行われた1867年、260年余り続いた江戸幕府が倒れて諸藩は東軍(旧幕府軍)と西軍(新政府軍)に分裂する。翌年には鳥羽・伏見の戦いをきっかけに戊辰戦争へとなだれ込むが、越後の小藩である長岡藩の家老・河井継之助(役所広司)は思案に暮れていた。まさに激動の時代の日本を生きた誇り高き侍の物語である。豪放磊落にして世継ぎは持たず、芸者遊びに明け暮れた豪傑だが、妻のおすが(松たか子)を誰よりも愛する。現代で言うならば小市民の趣だが彼は列記とした時の大将であり、当時の判断は家来たちの運命も左右しかねないほどの重要な決断だったが、時代に翻弄された男という印象が強い。だが物語自体はこの合戦を如何にして避けるか腐心する河井継之助の姿を描く。時節柄ウクライナ情勢との比較は避けられないタイミングだし、予告編もそれを堂々と正面切って謳ってはみたものの、司馬遼太郎や河井継之助が紡いだ思想は大きな意味では「和平」の道だが、時代劇における「和平」は戦争の「和平」とは趣が明確に異なるという点は伝えねばならない。小泉堯史の脚本は地味ながらその辺りを奇を衒わずに描き出しているように見えるが、そもそもの開戦に至る経緯が説明不足で、断腸の思いでの妥協的な決断だったという力感があまり伝わって来ない。

 前半は河井継之助という人物の正直な人となりに触れて行く。時代の転換点を憂いながらも盟友の川島億次郎(榎木孝明)や小山良運(佐々木蔵之介)と豪快に夢を語り合いながら、雪堂こと牧野忠恭(仲代達矢)には面と向かって忌憚なきビジョンを指し示す。継之助にとっての忠義心というものは侍の本質であり、彼が若者に説いた希望と不可分に見える。特に今作では次の世代を生きる若者たちと言うべき、小山正太郎(坂東龍汰)や従者の松蔵(永山絢斗)、そして芸者のむつ(芳根京子)への父の様な温かなエールが一際印象に残る。100年後200年後の民に向かい、自分の生き方や信念を後世に伝えたかったのだ。一方で合戦時のむつの登場は流石に疑問が残るし、原作ではどのようなバランスで描かれたかに興味も沸いた。おすがとむつのバランスも非常に苦心した印象だ。だが人間ドラマが瓦解した後の中盤以降のアクションというか合戦模様は、俯瞰での戦況分析や西軍側の活況が一切描かれず、殆ど大砲の乾いた鈍い音だけで描かれるのは予算的な苦肉の策だとしても時代劇の本分とは思えない。脚本上の言葉の重みはまさに司馬遼太郎の静謐な力強さを絵に描いたように優れているのだが、戦の様子は誤魔化しの印象が強い。690名の少数で50000人に挑んだという触れ込みも勝ちを得たならばまだしも、負け戦であればまた話は違って来る。ワンシーンで鮮烈な印象を醸す井川比佐志や山本學の重厚な余韻や聖なる香川京子はキャスティングの妙だが、それ以上に徳川慶喜を演じた東出昌大や岩村精一郎を演じた吉岡秀隆の1本調子な演技にはつくづく参った。『蜩ノ記』以上に地味ながら手抜かりのない真面目な作品だが、公開時期の延期が悔やまれる。
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