このレビューはネタバレを含みます
ハリウッドさんへ
責任を持って、『この』ジョーカーを倒してください。
「アーサー」がジョーカーとなる過程はわかりましたから、勧善懲悪を成立させるため『この』ジョーカーを倒してください。
アーサーには避けられぬ事実のみがひたすらに突きつけられ、ゴッサムシティとは名ばかりのブルックリン、ニューヨークは過激さを帯びていく。
その過程はわかるが、フィクションとしての「波」を作るために「善、良心」と呼ぶべき存在が見当たらない。
ソフィーは助けではなく、アーサーの妄想肥大の道具となり、子供ブルースや、ペニーワースはされっぱなし、警察官はどこか抜けていて、ことの重大性を理解していない。
マレーフランクリンは、あろうことかそれを煽ってしまった!!!
トーマスウェインとペニーフレックの関係は社会にどうすることが出来ただろう。
例えば常に弱者につこうという人がいたとして言葉によることばかり信じて現実を見失ってしまったら(過去と呼ばれるものはそうなりがちだ。人は忘却し信じたいものしか見ない。今の日本では山ほど見かける光景だ、主にTwitterで)実は弱者がモンスター化していることにも気づかないのではないだろうか?
僕たちは、ジョーカーを逃してしまった。
誰か、ヒーロー!
助けてくれ!!
僕でもタクシードライバーやフレンチコネクションなどアメリカンニューシネマの影響をしっかりと受け取ることが出来たし、
ヒースレジャーのジョーカーとは全く違うものであることも認識できた。
ハーモニーコリンやケンローチ、ラースフォントリアーなどの映画を見た時と同じ感覚に陥ったし告発的芸術映画だと安易に言ってしまいたくもあった。
前の席に座る女はランドールが無残に殺されたときポップコーンを食べていてそれも僕にとっては怖かった。
そのポップコーンは軽減税率の適用を受けたものであった。