試写会にて。
生々しくて迫力のある描写が多かったように思います。
何故彼女はここまで駆り立てられるのかと…自分には全く理解の及ばない世界の人だと距離を置いて観てしまいました。
そこまで身を捧げたジャーナリズムとは一体なんなのかと。
タイトルはプライベートウォーですから、映画の筋からして、こんな感想を抱くのはピントがズレているに違いないと思いつつ下記メモ。
SNSの普及で別に知ろうとしなくたってタイムラインに流れてきますよね。
現在進行形で多くの人が傷ついている民間人と政府との衝突も、自分にはなんの接点もない人たちの痴話喧嘩も。
自分で気になったものを探して選ぶ、ではなくて、目の前に雑多に置かれたものの中で気になるものを短時間でピックアップする日常。
その分、量が受信者側のキャパシティを軽く超えてきてますよね。
ひとつひとつに時間をかけることも少ないですし、自分の気に留まったもの以外は覚えておくことすら難しい…
もし気に留まったとしても一瞬…その後に受信者側が起こす具体的なアクションが何かと言えば、配布物を後ろの席の人に回すような手軽さで「いいね」、「リツイート」だけで、それ以上掘り下げることをしない場合も少なくないわけで。
発信者側がどれだけ高尚な動機に駆られて、命を張って、長い長い時間をかけて発信したとしても、受信者によっては一瞥してスクロールされちゃう。
情報そのものは、人の目に触れた時点でその役割を果たしているのであれば、
あとは受信者側が、情報を選択して摂取する立場として、どうあるべきか…