眠ることは記憶が燃えることだ。眠ることは心が濡れることで、眠ることはからだが蠢くことで、眠ることは、どこかとおくとおい場所へいってしまうことだ。ねむることは、たえることない鼓動そのもの、目にみえないたましいそのもの、抱きしめたくても叶わない過去そのもの、あたたかいまま失われないいのちそのものだ。あなたが泣いているとき、わたしはそんなふうに抱きしめたくて、あなたが怒っているとき、わたしはそんなふうに手をとりたい。幼いころのあなたが、青い毛布を着て、こがねいろの空を待っていたとき、その目が開いていても閉じていても、なにもかもかならず大丈夫になると約束をしてあげたい。わたしたちは大地も海も草原も道路もベッドにして、思い出せるうつくしい日の記憶にほおずりをしてねむるの。さむくて乾いた冬の日、雲ひとつない晴天で、真っ白な陽の光がアスファルトを照らしていて、それがしろくて、あまりにまっしろだから、羽のはえた天使や、ずっとうえのほうへ向かう階段が見える気さえして、わたしはこうおもう、冬は、天国みたいだ。見たゆめについて、日が沈むまで説明しつづけてもいい、今日をいつ終わらせるのかと、夜が明けるまで語りつづけてもいい、わたしはこの世界のかみさまになれなくても、わたしはあなたにおやすみを言うことができる、いつでも、どんなときも、言うことができる。いつか近いうちに、眠れない夜がまたわたしのもとへやってくるとき、この映画を観た夜の記憶が、わたしを泣かせるだろう。本当の眠気を覚える人間は、無傷のままの人間に戻れる可能性をかならず持っているのだと、サリンジャーは書いていて、その言葉に何度もすくわれて生きてきた。ねむりは泣いてしまうほどやさしくてあたたかくてやわらかい、そんなふうにあってほしい、そんなふうでしょう?やさしさが、あたたかさが、やわらかさが、海の波や燃える火のようにたえることなく、あなたを甘えさせてくれますように