蛇らい

クワイエット・プレイス 破られた沈黙の蛇らいのレビュー・感想・評価

3.3
一作目制作時には続編の計画がなかったため、全体に渡って詰め込まれた体感もあっが、本格的にシリーズ化するにあたり、本作は次作に向けた連続性を意識した仕上がり。一本の映画として捉えると薄味気味な印象だ。

しかし、他のSFとは異なり、卓越したプロットの元、極めて意欲的なマインドは前作から引き続いて感じられる。一切の無駄を排除し、しっかりとカタルシスをこしらえる手際の良さには安心させられる。それらを94分というコンパクトな上映時間にまとめ上げる。

例えば、静寂という言葉の意味をイメージするとき、静まり返ったような情景が浮かぶであろう。しかし、静寂とは無音の状態ではないのである。微かな環境音はそこにしっかりと点在し、僅かな空気の振動が音としてそこに残る。静寂と無音を往復するという、ありそうで無かった演出が、観客の感覚中枢を逆撫でする。このように、無駄を削ぎ落としたミニマムな構造は、様々な仕掛けを際立たせることに成功している。

1日目の街の中を車で逃走するシーンのカメラのアングルは、超一級の迫力が感じられた。後部座席に固定されたようなカメラのアングルを長回しでワンカットのような撮影。前作もそうであったが、ほとんどがカメラ側に逃げ込むような体勢がとられ、常にクリーチャーが観客の視点のどこかに写り込むようなカメラワークがなされている。意図的に仰ぐようなカメラワークを避けていて、ダイナミズムは編集で補っている。リアリティを損なわなず、これ見よがしな技術の提示を感じさせない工夫なのかもしれない。

また、多い時には3つのシチュエーションのクロスカッティングで連続性を持たせている。さらには、それぞれのカットで連続した状況を生み出し、シーン毎にテンションの浮き沈みをなくしたシームレスな演出がなされる。

脚本も書いている監督の本物の家族である、エミリー・ブラントが主演であることも関係しているのか、本来、家族間でのコミュケーション法が、他の生存者とのサバイバルの中でクロスオーバーするのも面白い。

キリアン・マーフィーが髭面で汚らしいのに、セクシーすぎるのに気を取られつつ、2作目でも相変わらず、視聴者とのピントのズレがまったくない仕上がりに驚いた。
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